【名勝】下松で南殿桜が見られるのは専明寺だけ

南殿の桜が咲きました。

珍しい桜なのでどうぞ見に来てください。

桜の見頃は短いですが、この南殿桜は特に葉っぱも咲くので、本当に短いんです。

北海道から来た桜で、キレイに咲けばこのように満開になります。

この木の由来ですが、北海道にある浄土宗の光善寺にこのように書かれてあります。

今から200年前の松前城では、松前城下に柳本伝八という鍛冶屋がいました。若い頃から上方見学を夢見て一生懸命、精を出して働いていました。やがて跡取り息子が、家業を継ぎ、長年の上方見学の夢がかなうことになりました。娘と一緒に二人で出発しました。見るも聞くも皆珍しい江戸を見学し、東海道を上って伊勢参り、京都の名所旧跡を訪ね、百万遍にある知恩寺にお参りにいきました。その後、奈良をめぐり、吉野山に着いた2人は山を彩る桜の美しさに魅せられて、しばらく宿をとることにしました。宿の近くには尼寺があり、若い庵主と伝八の娘はたいそう仲良くなりました。

やがて松前への帰郷の日が来ました。名残惜しんで、若い尼僧は一本の桜の苗木を娘に手渡し「国に帰られたら、この桜を私と思って植え育ててください。」というのです。松前に帰った伝八と娘は菩提寺である光善寺の前庭に植えてもらいました。桜は毎年、美しい花を見せ、人々の目を楽しませるようになりました。

時は流れて伝八や娘は、もう世にありませんが、桜は大木となり、その名花ぶりは松前の評判になっていました。ある年のこと、光善寺では古くなった本堂を建て直すことになり、この桜がどうしても邪魔になり、切り倒しの相談がまとまりました。

切り倒しの先日の夜のことです。

住職の枕元に桜模様の着物の美しい娘が現れ、涙を浮かべて「私は明日にも命を失う身でございます。どうか極楽浄土へ行けますように、お力をお貸しください」と願われました。住職は夜も更けており「明朝にしてくれ」というのですが、娘は聞き入れる風もなく、ただ泣くばかりで、やむなく住職は念仏を唱えお祈りし、「血脈」というものを渡されました。娘は丁重にお礼をいい住職の前から姿を消しました。

住職は何かしら夢うつつのような出来事でした。

翌朝、ふと切り倒す桜を見上げると、枝先に何か白い物が結び付けられていました。近寄って見た住職は、一瞬声をのんでしまいました。なんと昨夜夢の中で娘に与えたあの「血脈」でした。「そうか昨夜の娘はこの桜の精だったのか」直ちに桜を切り倒すのは取りやめ、盛大な供養をしました。本堂の改築も桜を考慮して、別の方法が取られたといいます。

明治36年2月6日、光善寺が火災で焼失した時、幹が焼けましたが現在もあるようです。

北海道の光善寺にある、その桜こそ「南殿」桜です。とても珍しい桜をどうぞ御覧ください。

-お寺日記