はじめに:『正信偈』と阿弥陀さまの物語
『正信偈』(しょうしんげ)は、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が著された、私たち門徒にとって最も身近な聖典の一つです 。親鸞聖人の主著『教行信証』の中に記されたこの偈文(うた)は、阿弥陀さまの救いの真実と、その教えが私たちにまで届けられた歴史を凝縮して伝えています 。
前回は、冒頭の二句「帰命無量寿如来 南無不可思議光」について学びました。そこには、親鸞聖人が阿弥陀さまの限りない慈悲(無量寿)と智慧(不可思議光)によって救われたことへの、深い喜びと絶対的な帰依(きえ)の心が表明されていました 。
今回解説する第三句・第四句「法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ) 在世自在王仏所(ざいせじざいおうぶつしょ)」からは、『正信偈』の中でも『仏説無量寿経』という根本経典に基づいて阿弥陀さまの教えが説かれる「依経段(えきょうだん)」に入ります 。この二句は、阿弥陀さまがまだ仏になる前の「法蔵菩薩」として修行されていた、遠い過去の物語の始まりを告げる、非常に重要な箇所です 。ここから、阿弥陀さまの救いの源流をたずねていきましょう。
「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所」を読む
まず、この二句の書き下し文(伝統的な読み方)と現代語訳を確認します。
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書き下し文 : 法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の因位(いんに)の時(とき)、世自在王仏(せじざいおうぶつ)の所(みもと)に在(ましま)して
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現代語訳 : (私たちを救う阿弥陀仏となられた)法蔵菩薩が、まだ仏果(ぶっか、仏のさとり)を得る前の原因としての修行の位(因位)におられた時、その師(お師匠さま)であられる世自在王仏のおそばにいらっしゃって、
この二句で、阿弥陀さまの救済物語の主要な登場人物と、物語が始まる時間と場所が示されます。
言葉の意味を味わう
「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)」とは?:仏さまになられる前の阿弥陀さま
「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)」とは、阿弥陀さまが仏(如来)という完全なさとりの境地に到達される以前、菩薩(ぼさつ)として修行されていた時のお名前です 。 「菩薩」とは、自分自身のさとりを目指すと同時に、迷い苦しむすべての人々(衆生)を救おうと活動する修行者のことです 。
『仏説無量寿経』によれば、法蔵菩薩は元はある国の王様でしたが、世自在王仏という仏さまの説法を聞き、世の無常と人々の苦悩に目覚め、すべての人々を救う仏道を志しました 。そして、王位も国も捨てて出家し、「法蔵」と名乗る修行者となられたのです 。 「法蔵」というお名前には、「仏の教え(法)の蔵(くら)」という意味が込められているとも言われ、仏の智慧と慈悲を内に秘め、それを人々に施そうという広大な志がうかがえます 。
「因位(いんに)」とは?:仏道を歩む修行の時
「因位(いんに)」とは、仏教で、修行の結果である仏のさとり(果位・かい)に対して、その原因となる修行の段階・期間を指す言葉です 。 「法蔵菩薩因位時」とは、法蔵菩薩が阿弥陀仏という結果(果位)を得るための原因となる、誓願を立て、修行に励んでおられた期間のことです 。この言葉は、阿弥陀さまの救いが、法蔵菩薩としての想像を絶するご苦労によって裏付けられた、確かなものであることを示しています。
「世自在王仏(せじざいおうぶつ)」とは?:法蔵菩薩のお師匠さま
「世自在王仏(せじざいおうぶつ)」とは、法蔵菩薩が仏道を歩み始めるきっかけを与え、その師(先生)となられた仏さまのお名前です 。 元の国王であった法蔵菩薩は、この世自在王仏の説法を聞いて深く感動し、出家を決意しました 。 「世自在王」というお名前は、「世(人々が生きる世界)において自在(自由自在)である王(最も優れた者)」という意味を持ち 、優れた智慧と慈悲で人々を導く徳を示しています 。 法蔵菩薩は、この偉大な師のもとで、二百十億もの諸仏の国土の様子などを詳しく学び 、それを基に、すべての人々を救うための独自の誓願(後の四十八願)を打ち立てていくことになります 。
物語の背景:『仏説無量寿経』より
王の出家と学びの始まり
『仏説無量寿経』には、法蔵菩薩の物語が詳しく説かれています。遠い昔、ある国の王が世自在王仏の説法に感動し、王位を捨てて出家し、法蔵比丘(菩薩)となりました 。法蔵菩薩は、師である世自在王仏に、自らが建立すべき理想の浄土と、衆生を救う方法について教えを請いました 。世自在王仏は、その熱意に応え、二百十億もの諸仏の国土の成り立ちや、そこに住む人々の善悪などを詳しく説き示されたのです 。
すべてのいのちを救う「願い」の源泉
多くの仏国土を見聞された法蔵菩薩は、それらの浄土が素晴らしい一方で、誰もが容易に往生できるわけではないこと、そして、この迷いの世界には自力では救われない多くの人々(苦悩の有情)がいる現実に深く心を痛められました 。 「どうすれば、智慧も浅く罪深い凡夫たちを、一人残らず救うことができるだろうか」― この、弱い衆生に徹底的に寄り添い、平等に救いたいという強い慈悲の心(大悲心)が、法蔵菩薩の胸に燃え上がりました 。この深い共感と、師からの学びが、後に阿弥陀さまの本願となる誓願へと結実していく、すべての始まりとなったのです。
この二句が示す大切なこと
阿弥陀さまの徳の源泉
『正信偈』冒頭で讃えられた阿弥陀さまの「無量寿」(限りない慈悲)と「不可思議光」(はかりしれない智慧)は、この「法蔵菩薩因位時」から始まる、想像を絶するほどの長い時間(五劫思惟、兆載永劫の修行)にわたるご修行と、私たち衆生を救うという揺るぎないご決意によって成就されたものです 。
「私」に向けられた大悲の始まり
法蔵菩薩が仏道を歩み始められたのは、他の誰のためでもなく、悩み苦しむ「この私」を含むすべての衆生(苦悩の有情)を見捨てることができなかったからです 。『歎異抄』にある「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」 というお言葉のように、阿弥陀さまの願いは、遠い過去から今ここにいる私たち一人ひとりに、まっすぐに向けられているのです。
『仏説無量寿経』に基づく確かな教え
この二句から始まる「依経段」は、『正信偈』の前半をなし、浄土真宗の教えの根幹を示します 。そして、その内容は親鸞聖人が最も大切にされた根本聖典『仏説無量寿経』に基づいています 。このことは、私たちが信じる教えが、お釈迦さまによって説かれ、親鸞聖人によって明らかにされた、確かな経典に根差す真実の教えであることを示しています。
おわりに:法蔵菩薩の願いを受けとめて
「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所」の二句は、阿弥陀さまの救いの物語の壮大な序章です。それは、阿弥陀さまの限りない慈悲と智慧が、私たち凡夫を救いたいという法蔵菩薩の深い決意と、想像を絶するご修行によって成就されたものであることを教えてくれます。そして、その願いは、遠い過去から今を生きる私たち一人ひとりに、絶えることなく向けられているのです。
私たちが日々お称えする「南無阿弥陀仏」のお念仏は、この法蔵菩薩の尊い願いとご苦労が完全に成就した、阿弥陀さまからの呼び声です 。この二句の意味を深く味わい、阿弥陀さまの変わらぬ大悲に感謝し、お念仏申す日々を送らせていただきましょう。