新しいお寺のかたち

明るいお寺 専明寺(下松市)

人気と不安、そして変わらぬ光

浮き沈みの激しい世界で

いわゆる「お笑いブーム」と言われてから、もう随分と時間が経ちます。今でもテレビをつけると、たくさんのお笑い番組が放送されており、また、お笑い芸人さんのライブなどが行われる劇場は、いつも多くの人で賑わっています。そして、毎日、何人もの新しい芸人さんがテレビなどのメディアに登場し、活躍されています。

そんな華やかな世界の陰で、以前、一世を風靡した、あるベテランの芸人さんが、ご自身の経験を振り返って、こんなことをおっしゃっていました。

「(無名で)人気が出るまでの時間は確かに長かったけれど、今思えば、さほどつらくはなかった。けれども、一度得た人気がなくなってからの方が、時間的にも、はるかに長く、そして精神的には、はるかにつらいものですね。」

また、現在、テレビのお笑い番組には必ず出演していると言っても過言ではないくらい、大変人気のある、ある若手の芸人さんは、今の心境をこのように語っておられます。

「若い頃は、とにかく売れたい、テレビに出たい、と思ってがむしゃらに頑張ってきました。でも、いざ今、そういう状況になってみると、今度は、いつこの人気がなくなる日が来るのかと、毎日ビクビクしながら過ごしています。」

現代は、しばしば「消費社会」であると言われます。特に芸能界などでは、人気が出ると、マスコミが一斉にその人を取り上げて出演させ、もてはやす一方で、一度その人気に翳りが見え始めると、あっという間に世間の関心が薄れ、必要とされなくなってしまう。昨日までと同じことを、同じように続けてきただけなのに、周りの評価によって、急にもてはやされたり、急に手のひらを返したように知らん顔をされたりする。そのような浮き沈みの激しい現象の中で味わう、そのつらさや苦しみというのは、私たちにはなかなか思い量ることができないものがあるでしょう。

他人と自分をはかる日々

しかし、これは何も特別な世界の出来事だけではありません。私たちの日々の生活の中でも、程度の差こそあれ、同じようなことが起こっているのではないでしょうか。私たちは、知らないうちに他人を評価し、「あの人はできる」「この人はできない」などと値踏みしています。そしてまた同時に、周りの人から自分がどう評価されているのかを常に気にして、時には自分を偽(いつわ)り、誤魔化しながら、いつも精一杯(いっぱい、いっぱい)になって生きているのです。

思い通りにならない私

本当は「こうありたい」「こうあるべきだ」と、誰もが心の中では思っています。しかし、実際の私は、なかなかそうはなれない。理想通りには生きられない。その理想と現実とのギャップに、私たちはいつも、もがき、苦しんでいるのではないでしょうか。

そして、その思い通りにならない苦しみに耐えきれず、時に人は、自分で自分自身を見捨ててしまうことさえあります。「もう、どうでもいいや」「私なんて、どうせダメなんだ」と。

「あなたを見捨てない」というよび声

しかしながら、阿弥陀さまは、決してそのような私たちを見捨てることはありません。

如来さまは、
「あなたがどのような状態であっても、どんな失敗をしようとも、どんなに自分自身をダメだと思っていようとも、この阿弥陀さまが、絶対にあなたを見捨てたりはしないのだよ」
という、決して揺らぐことのない救いのお心を、南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)という六字のお名号(みょうごう)となって、今、この私に至り届けてくださっているのです。

阿弥陀さまの、この「必ずあなたを救います」という摂取不捨(せっしゅふしゃ:摂め取って決して捨てない)のお心を聞かせていただくことで、この私の、どうしようもない迷いのありのままの姿(有り様)と、そして、そのような私がこれから歩むべき道(行く道)とが、同時に知らされてまいります。

如来さまのお慈悲の中に

以前、どなたかが、この関係を、このような短い言葉で言い表しておられました。

「私は私を見捨てるが、 如来さまは私を見捨てない」

周りの評価に一喜一憂し、自分の思い通りにならない現実に悩み苦しむ、つらく苦しい毎日ではあります。しかし、どのような時であっても、この私は、決して一人ではない。阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲の中に、確かに抱かれてあるのだと、お聞かせいただくことでありました。