光なき身を照らすもの -阿弥陀さまの光明と私の人生-

漆黒の宇宙に輝く地球

民間宇宙船「クルードラゴン」に搭乗し、約半年の間、国際宇宙ステーションに滞在された宇宙飛行士の野口聡一さんが、無事に地球へ帰還されました。野口さんは宇宙滞在中、宇宙から見た地球の様子を写真に収め、インターネットを通じて日々私たちに紹介してくださいました。

漆黒の闇と静寂が広がる宇宙空間の中で、青く、時に白く、美しく光り輝いている地球の姿は、息をのむほど神秘的です。しかし、その美しい写真を見ていると、ふと素朴な疑問が湧いてきました。「地球はあんなにも光り輝いて見えるのに、すぐ隣の宇宙空間はなぜ、光ひとつない暗闇に見えるのだろうか。太陽の光は、宇宙空間をも遍く通過しているはずなのに。」

少し調べてみると、その理由は地球にありました。地球には大気があり、その空気中に漂う微細な塵(ちり)や水滴に太陽の光がぶつかり、反射することで、私たちの目には地球が光り輝いて見えるのだそうです。逆に、宇宙空間は真空で、光を反射するものがほとんどないため、たとえ強い太陽の光が通過していても、暗く冷たい闇が広がっているように見えるのですね。

光そのものが明るいというよりも、その光を受け止め、反射する「めあて」となる存在があってはじめて、私たちはその光の明るさや温かさを感じることができる。当たり前のようですが、改めてその仕組みに驚きを感じました。

私たちの「暗闇」 - 生死(しょうじ)の苦悩

この宇宙と地球の話は、どこか私たちの人生にも通じるものがあるように思います。私たちは、自分自身の力だけで光り輝いて生きていると思いがちですが、仏教、特に浄土真宗の教えでは、私たち自身の姿を深く見つめていきます。

私たちは皆、「生死(しょうじ)」という根源的な苦悩を抱えている、と仏教では説かれます。この「生死」とは、単に「生きるか死ぬか」という話ではありません。思い通りにならないこの世に「生まれてきた」苦しみ(生苦)、望むと望まざるとに関わらず「老いていく」苦しみ(老苦)、生きる上で避けることのできない様々な「病」の苦しみ(病苦)、そして、愛する人との別れや、自らがこの世を去らねばならない「死」の苦しみ(死苦)。これら「生老病死(しょうろうびょうし)」は、人間として生まれた以上、誰もが避けることのできない、根本的な苦しみです。

自分の思い通りには決してならない現実、ままならない自分自身の心。その中で迷い、悩み、時に自分の殻に閉じこもってしまう。それはまるで、光を受け止めるものを失った、漆黒の宇宙空間のような「暗闇」を、私たち自身が抱えている姿と言えるのかもしれません。

阿弥陀さまの光と、その「めあて」

しかし、阿弥陀さまという仏さまは、そんな「暗闇」の中にいる私たちをご覧になり、決して見捨てることはなさいません。『仏説阿弥陀経』というお経には、阿弥陀さまについてこのように説かれています。

「かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障碍するところなし。このゆゑに号して阿弥陀とす。」 (意訳:その仏(阿弥陀仏)の光明(ひかり)は量り知ることができず、あらゆる世界の隅々まで照らし、その光を妨げるものは何もない。この理由によって阿弥陀仏とお呼びするのである。)

阿弥陀さまの智慧と慈悲の光は、無限であり、どんな存在をも分け隔てなく照らしてくださいます。そして、驚くべきことに、その光がまっすぐに向かう先、その光の「めあて」とは、他の誰でもない、この「生死」の苦悩を抱え、迷い悩み続けている私たち自身なのです。

ちょうど、太陽の光が地球の大気や塵に当たって初めて輝いて見えるように、阿弥陀さまの光もまた、苦悩する私たちという「めあて」があってこそ、その救いのはたらきが現れるのです。阿弥陀さまは、私たちの苦悩が深いほど、その闇が濃いほど、より一層強く、私たちを照らし、救おうとはたらき続けてくださっています。

夕日に照らされる人生 - あるお坊さんのお話から

以前、あるお坊さんから、ご自身のお祖母さまにまつわる、心に残るお話を聞かせていただいたことがあります。

そのお坊さんのお祖母さまは、当時九十歳を超えておられ、最近の出来事は忘れてしまうことが多くなったそうですが、お寺に嫁いでこられた頃のことや、戦時中に大変な苦労をされたことなど、昔の記憶は非常に鮮明で、まるで昨日のことのようにお話しになる方だったそうです。

そんなお祖母さまが、まるで昔の自分に戻ったかのように、楽しそうにお孫さん(お坊さんのお子さん)たちに、いろんな唄を歌い聞かせてくれることがあったといいます。その中でも『夕日』という童謡は、お祖母さまが繰り返し歌ってくれたので、子どもたちもすっかり覚えてしまった、と仰っていました。

「ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む まっかっかっか 空の雲 みんなのお顔も まっかっか ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む」

そのお坊さんは、お祖母さまやお子さんたちが一緒にこの『夕日』を歌う声を聴きながら、そこに唄われている情景を思い浮かべることがあったそうです。この唄の舞台がどこなのかは分からないけれど、そこにはきっと、様々な境遇や、言葉にならないような思いをそれぞれに抱えながら、それでも今日一日を精一杯生きようとしている、たくさんの人々がいるだろう。その一人ひとりが、沈みゆく夕日の赤い光によって等しく照らし出され、その存在そのものが、まるで「ぎんぎんぎらぎら」と輝いている。そんな温かい光景を想像された、と語っておられました。

弱さと念仏 - お祖母さまの輝き

歌っているときは楽しそうなそのお祖母さまでしたが、やはり年齢を重ねる中で、愚痴や弱音を口にすることも増えてこられたそうです。年々足腰も弱り、認知症も少しずつ進んでいく。身も心も自分の思い通りにならないご自身に対して、情けなさや口惜しい思いが募ることもあったのかもしれません。

しかし、そんなお祖母さまでしたが、日課である朝のお参りだけは、ほとんど欠かすことがなかったそうです。朝食前に必ず一人で本堂に座り、ご本尊の阿弥陀さまに向かって静かに手を合わせる。そして、普段は愚痴や弱音が多いその口から、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」と、確かめるように、お念仏がこぼれてくる。

そのお坊さんは、お祖母さまが難しい法話をされるわけではないけれども、弱さを抱えながらも、ただ阿弥陀さまに向かい、お念仏申すそのお祖母さまの後ろ姿に、どんな立派なご法話にも勝る、尊い教えを聞かせていただいているような思いがした、と仰っていました。

それは、まるでお祖母さまがその身をもって、「苦悩を抱え、思い通りにならないこの我が身だけれども、この身こそが、この身の上がそのまま、阿弥陀さまがはたらきかけてくださる場所だったんだよ。生きるか死ぬかだけで終わっていくような、空しい人生ではない。阿弥陀さまの光に照らされ、支えられ、この人生を力強く歩み抜ける道が、私たちには開かれているんだよ。」と、語りかけてくれているかのようだった、と。

お祖母さまは、その弱さも含めたありのままの姿を通して、同じように生死の苦悩を抱える私たちに、本当に大事なことを、身をもって教えてくださっている。そのお話を聞かせていただき、私もまた、そのお祖母さまが、夕日に照らされたように、あるいは阿弥陀さまの光に照らされて、静かに輝いておられるように感じました。それは、ご本人の力による輝きではなく、阿弥陀さまの光が、お祖母さまの存在を通して、私たちにまで届いている輝きなのでしょう。

光を受けて生きる

太陽の光が、地球の塵に当たって輝きを放つように。阿弥陀さまの限りない慈悲の光は、悩み苦しむ私たちという「めあて」に出遇って、その救いのはたらきを現してくださいます。私たちがお念仏申すとき、それは、この光なき身が、阿弥陀さまの光を受け止め、その光を身にいただいている姿なのです。

特別な人間になる必要はありません。立派な行いをする必要もありません。ただ、この身に届けられている阿弥陀さまの光、「南無阿弥陀仏」のお心を素直に受け止め、日々をおまかせして生かさせていただく。そこに、苦悩の闇の中でも確かな道を歩む、私たちの人生が開かれてくるのではないでしょうか。