新しいお寺のかたち

明るいお寺 専明寺(下松市)

定年後の夢と「夢まぼろし」-人生の確かな頼りどころ-

テレビで見た「定年後の夢」

先日、テレビを見ておりますと、定年退職後の人生設計について、街頭でインタビューを行っている番組が放送されていました。インタビューに答える方々からは、様々な夢や希望が語られていました。

例えば、
「第二の人生、まずは世界一周旅行をしてみたいですね」
「海の近くに、小さな別荘でも持って、のんびりしたいです」
「これからは、今まで我慢してきた趣味に生きたいですねぇ」
といった声が聞こえてきました。

それは当然のことでしょう。私たちは、何かを心の頼りとし、未来への希望を持たなければ、なかなか前向きに生きていくことは難しいものです。

「夢まぼろし」と遺した人(足利義政)

しかし、このような、退職後の人生への明るい希望の言葉を聞くたびに、私はふと、ある歴史上の人物が遺した言葉を思い出します。室町幕府の八代将軍であった、足利義政(あしかが よしまさ、1436-1490)です。

義政といえば、京都に銀閣寺(慈照寺銀閣)を建立したことで有名ですが、政治よりも文化・芸術を愛し、趣味や風流に没頭して五十四年の生涯を費やした人物として知られています。その義政が、この世を去る間際に、次のような愁嘆(しゅうたん:なげき悲しむこと)の言葉を遺した、と伝えられています。

「何事(なにごと)も 夢まぼろしと思い知る 身には憂いも喜びもなし」

(意訳:この世のすべてが、結局ははかない夢や幻のようなものであったと知り抜いたこの身にとっては、もはや、嘆き悲しむことも、また、心から喜ぶこともないのである。)

時代を超えた問いかけ

茶道、華道、能楽、水墨画、そして銀閣寺の庭に代表される枯山水(かれさんすい)など、現代の日本文化の礎ともいえるものを数多く後援し、まさに趣味を生き甲斐として、その生涯を費やしたと言っても過言ではない義政。その彼をして、「何事も夢まぼろしと思い知る」と、人生の最後に述べずにはおられなかったのです。

その義政の心境を、現代の私たちに代弁させるならば、「定年退職後の楽しみに胸を膨らませる人々よ。いや、退職するしないに関わらず、多くの現代人よ。目の前の娯楽に生きるのも、この浮き世の楽しみとしては、結構なことかもしれない。だが、それ『だけ』を人生の頼りとしてはいないか? もしそうであるならば、それは結局、私(義政)の二の舞いとなるであろうぞ!」と、時代を超えて、私たちに厳しい問いを投げかけているようにも聞こえてくるのではないでしょうか。

はかない世の確かな頼り(蓮如上人のお言葉)

蓮如上人は、その『御文章(ごぶんしょう)』の中に、この人生のありようと、私たちが本当に頼りとすべきものについて、繰り返し示してくださっています。

(蓮如上人は、私たちにこう語りかけます)
「人間のこの一生というものは、まるで稲妻や朝露のように、あっという間に消え去ってしまう、はかない夢や幻の間の営みでしかないのだ。どれほど自分の思いのままに贅沢に振舞ってみても、それはわずか五十年、あるいは長くても百年の間のことである。 まことに、この命が終わるその時が来たならば、今まで頼み、支えとしてきた、愛する妻子も、大切に蓄えた財宝も、心を慰めてきた趣味や風情も、何一つとして、わが身に寄り添い、共に後の世までついてきてくれるものはないのである。 このように、世の中の様々な出来事に流され、翻弄されては、ただ右往左往するばかりの、私たち凡夫の姿を、阿弥陀さまは、ことに哀れんでくださり、そこから私たちを救おうという、大いなるお慈悲の心が始まったのである。だから、これより後は、決して揺らぐことのない阿弥陀如来さまを、ただ一つの確かな頼りとして生きていきなさい」と。

凡夫のたしなみ

私たちの心は、常に移ろいやすく、揺らいでばかりいます。しかし、その揺らぐ心を、決して揺らぐことのない阿弥陀さまの仏さまとしての領域(仏地)に、しっかりと根を下ろさせていただく。そして、世の中の様々な出来事に流されてしまう、この私の様々な思いを、人間の思議を超えた阿弥陀さまの教えの海(難思の法海)に、そっと流させていただく。そのような日暮しをさせていただくことが、煩悩具足の凡夫である、私たちにとっての大切なたしなみ(心がけ)でありましょう。