忘れても届く声 -才市さんの喜びと阿弥陀さまの慈悲-

届いた便りに名前を見る

ふと、誰かから手紙や葉書を受け取ることがあります。時候の挨拶など、内容は毎年同じようなものであっても、その宛名を見ると、「ああ、この方はどうしておられるかな」と、しばらく会っていない方のことを思い出すきっかけになります。普段の生活の中では、忙しさにかまけてすっかり忘れてしまっている、その方の存在に改めて気づかされる瞬間です。

忘れてしまう 私という現実

このように、私たちは、大切な人の名前や存在でさえ、日々の暮らしの中で、いとも簡単に忘れてしまうことがあります。

考えてみますと、今、仏さまは、この私を救うとはたらき続け、「南無阿弥陀仏」とお名前を名乗って、常に私と共にいてくださっているにも関わらず、その仏さまのお名前、そのはたらきを、私はどれほど忘れて過ごしていることでしょうか。

忘れても照らされて(浅原才市さんの言葉)

江戸時代から明治にかけて、石見(いわみ:現在の島根県西部)の国に、浅原才市(あさはら さいち)さんという、大変信心の篤い、妙好人(みょうこうにん:浄土真宗の篤信者)として知られた方がおられました。生涯、下駄(げた)職人として働きながら、自身の喜びや悲しみ、そしてお念仏の味わいを、たくさんの短い詩の形で遺されました。

その才市さんの詩の中に、次のようなものがあります。

「わたしゃ忘れて くらすのに むねに六字(ろくじ)の声(こえ)がする」

「忘れても 慈悲(じひ)にてらされ 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」

才市さんは、ご自身のことを「仏さまのことをすぐに忘れてしまう、どうしようもない私だ(わたしゃ忘れて くらすのに)」と深く見つめておられました。しかし、そんな私であるにも関わらず、この胸には、阿弥陀さまの六字のお名前(南無阿弥陀仏)の声が、絶えず聞こえてくる。たとえ私が仏さまのことを忘れてしまっても、阿弥陀さまの大いなる慈悲の光は、そんな私を常に見通し、照らし、護ってくださっているのだなぁ、と。

才市さんは、その広大で、決して途切れることのない仏さまからのご恩(仏恩)を、深く喜ばれたのです。それは、自分の力や思いで喜ぶのではありません。「お念仏(南無阿弥陀仏)」そのものが、この私を、有無を言わさず喜ばせてくださる。そして、もし私が仏さまのことを忘れてしまったとしても、阿弥陀さまは「忘れるような私だからこそ、この阿弥陀が救わずにはおれないのだよ」と、ますます強くはたらきかけてくださる。そのお慈悲の有り難さを、才市さんは、ただただ喜ばれたのでした。

仏恩(ぶっとん)の有り難さ

私たちもまた、才市さんと同じです。煩悩に眼(まなこ)を障(さ)えられて、阿弥陀さまの大きな慈悲の光を見ることができなくても、阿弥陀さまの大悲は、飽きることなく、怠ることなく、つねにこの私を照らし護ってくださっています。

先人への感謝

先に阿弥陀さまのお浄土に往き生まれられた、たくさんのご先祖の方々、そして教えを伝えてくださった方々への感謝の思いがこみ上げてきます。皆さまからいただいたお念仏の中のお育てに、心からお礼を申し上げます。