新しいお寺のかたち

専明寺(下松市)浄土真宗

水波

なんと読むでしょうか?
「みずなみ」、「すいは」どちらも正解のようです。「すいは」とは読めなくもないですが、
意外な結果でした。パソコンで漢字変換をしてもなかなか出てこなかったので、あまり使われないのでしょう。
池などで、ぼーっと水面をみていると時間を経つのを忘れます。水を見ているのか・波を見ているのか分かりませんが、
一度として同じ表情をしない水面を見ていると、心が穏やかになるようです。
水があり、はたらき(風や力点)があって、水波が発生する姿を見ていると、
私が南無阿弥陀仏を称えている姿のように思えます。
どういう事か説明しますと、
私があり、阿弥陀如来さまのはたらきがあり、私の口から南無阿弥陀仏というお念仏がこぼれます。
水だけでは波が立たぬように、私だけではお念仏は出てきません。
阿弥陀如来のはたらきがあればこそ、私が南無阿弥陀仏とお念仏申す身にお育てくださるのです。
風を離れた波がないように、弥陀を離れた私はいないのです。
言い換えれば、この念仏申す私を決して見放さない仏さまがここにいらっしゃるのです。
風は目に見えないけれど、水波として見えます。
仏は目に見えないけれど、念仏として声に称えられます。
多くの先達の方々が仏となり、いつも「思い出してくれよ!念仏称えてくれよ」とはたらきかけて
私の口からお念仏となって現れてくださっているのです。