新しいお寺のかたち

専明寺(下松市)浄土真宗

法然聖人出家の動機

法然聖人は浄土宗の開祖でありますが、浄土真宗では親鸞聖人と子弟関係にあり(法然聖人門下にいました)、
七高僧(ひちこうそう)といわれる第七祖にあたります。
正信偈には、本師源空明仏教(ほんしげんくうみょうぶっきょう)と記されているように、
浄土真宗に密接に関わり、とても重要な方なのです。
その源空聖人(法然聖人のこと;以下では法然聖人といいます)が出家されたのは、
15歳の時ですが、自ら思い至って仏教に入門されたのではありません。
やはり15歳という若さで比叡山に入られるには、小さな子どもながらに突き動かされる
過去があったのでした。
9歳の頃、世の中は平安時代が終わりを迎えようとしていた頃でした。
生まれは、美作国(岡山県)で父親は久米の押領使(おうりょうし;治安を任務する地方豪族)で、
漆間時国(うるまときくに)であったと言われます。
ある時(1141年)稲岡庄(いなおかしょう)の預所(あずかりどころ;荘園の管理者)明石貞明(あかしさだあき)の
夜襲にあい、父:時国は亡くなりました。その死に臨んでひとり子の法然聖人(9歳)に次のように遺言しました。
私はこの傷によって死んでいかねばならない。しかし決して敵を恨んではなりません。
もしもお前がかたきを討つならば、親から子へ、子から孫へと、かたき討ちの争いは
絶えることはありません。生きている者は誰でも死にたくはないのです。私はこの傷を痛い
と思います。人もまたそう思わないはずはありません。私はこの命を大切だと思います。
人もまたそう思わないはずはありません。自分の身に引き当てて考えなければなりません。
だから、ただただ自分も他人も共に救われることを願い、恨みの心なく、親しい者も、
親しくない者も共に一緒に救われることを思ってほしいのです。
(黒谷源空上人伝「十六門記」より)
このように言い残されたのでした。
この言葉を受けて、法然聖人はかたき討ちの人生を歩むこと無く、仏門に入られるのでした。
9歳ということは、まだまだ父親に甘えたい年でしょうし、色々これから学びたいと思ったことでしょう。
とても辛く、怒りをどれほどぶつけたいと思ったことでしょうか。
けれども、父親の言葉を受けて、「共に一緒に救われる道」を求めて出家されたのでした。
もし、みなさんが夜襲にあい「ズバッ」っと切られた時には、どのような言葉を残しますか??
夜襲じゃなくても、無差別殺人が起こる時代であるし、交通事故にあう確率もゼロではありません。
やはり「かたきを討ってくれ」とは言わないまでも、「元気でね、心配いらないよ、大きくなるんだよ」と
精一杯の愛情を込めて言葉を絞り出すんじゃないかと思います。
(先に天国に行ってるね。とか、僕はお星様になるんだよ。なんて言うことはまずないでしょう)
けれども、父:時国が残した言葉には、「自分も辛いが、相手もまた辛い。自分の身に引き当てて」と
痛みの中でも、我が子の事を思えばこの辛さを味わって欲しくない、我が子に火の粉が降りかからないように
思って、残された言葉でしょう。
また「共に救われる道を我が子に託した」言葉であったのでしょう。
もし現代風に言うならば「念佛称えてね、私の代わりに阿弥陀様に手を合わせるんだよ」と言っても
子どもや孫には通じないと思うのです。そこを法然聖人を動かせたのには、道を求める事、
この理不尽な怒り・苦しみの中にも、「父親の言葉に答えるんだ!探すんだ!」と思えばの事でしょう。
そうして、15歳で出家されたのでした。そうしてその答えが見つけれたのでした。
それが南無阿弥陀仏です。
様々な教えや修行があった中で、どれほど身を削っても怒りの炎が消えること無く、
夜な夜な父親の言葉を思い出しては、本当に見つけられるのだろうか、救われる道が本当に
あるのだろうかと涙した事は何度もあったかと想像されます。
43歳の時に、善導大師の「一心専念弥陀名号・行住座臥・・・」の言葉に出遇えたのでした。
我がはからいによって救われる道ではなく、我がはからいを離れた所に真実の道があったのでした。
自分の苦しみを分かち救う阿弥陀様であり、父親もまたその弥陀のはたらきに出会っていればこそ救われる道であり、
かたき打ちの明石貞明も、自分も相手も救われる道だと出会われたのでした。
夜襲に入ったものも、残された人生に罪を背負い、そして地獄一直線であるはずの命が
阿弥陀様の御手にあればこそ、自分の犯した大小様々な業さえも、すべて阿弥陀様の
救いの中で有りました。
ようやく他力念佛に出遇えた法然聖人は比叡山を降りられるのですが、
この父親とのやり取りがなければ、出家することもなく念佛に出会わなかったでしょう。
膨大なお書物(お経)の中から、この「一心専念弥陀名号」に出会わなければ、
比叡の山を降りること無く、親鸞聖人との出会いもなかったでしょう。
もしこれらの一つでも欠けていれば、私たちがお念仏申すことはなかったでしょう。
「かたき討ち」から「平等の命」と見れた漆間時国(法然聖人の父親)が、
法然聖人だけではなく、後世に繋がる私たちまでも仏道に導いた尊い存在といえるでしょう。
お念仏の力ってすごいですね!