百重千重の願いに囲まれて -お念仏申す、この尊さ-

百重千重に囲まれて(親鸞聖人の御和讃)

親鸞聖人の御和讃(仏さまの徳や教えを讃える詩)の一つに、次のようなものがあります。

南無阿弥陀仏をとなうれば 十方無量(じっぽうむりょう)の諸仏(しょぶつ)は 百重千重(ひゃくじゅうせんじゅう)圍繞(いにょう)して よろこびまもりたもうなり

これは、「『南無阿弥陀仏』とお念仏を称えるならば、あらゆる世界の数えきれないほどの仏さまたちが、この私一人を、百重にも千重にも幾重にも取り囲んで、共に喜び、そして護(まも)ってくださるのだ」という意味の御和讃です。

さらに親鸞聖人は、私たちがこのようにお念仏を申すようになるのは、阿弥陀さまの「すべての人を救いたい」という願いが、他のたくさんの仏さま方をも揺り動かし、その仏さま方が称えておられる「南無阿弥陀仏」というお念仏の声が、時と場所を超えて、今この私の上に届き、私自身の口からお念仏として現れ出ているのだ、と教えてくださっています。

そう考えてみますと、私が自分からお念仏を申そうと思うようになる、そのずっと以前から、私の目には見えませんが、たくさんの仏さま方が「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と私に呼びかけ、私一人を百重千重に取り囲んで、願い続けてくださっていた。そのような温かい世界の中で、私は生かされてきたのだな、ということを味わうことができます。それが、なんとも有り難いことだと感じます。

小さな両手のおまいり(長崎で聞いたお話)

以前、ご法話の中で、こんな心温まるお話を聞かせていただいたことがあります。登場人物は、その布教使の先生と、あるお寺の若坊守さんの会話です。

「先生、私は日頃、お寺の境内にある保育園に勤めているのですが、毎日とてもかわいい光景を見ることができるんですよ」と、その若坊守さんは話してくださいました。

詳しく聞いてみると、毎朝、三歳になる一人の女の子が、ひいおじいちゃん(曾じいちゃん)に手を引かれて保育園に登園してくるそうです。そして、その女の子は、毎朝欠かさず、保育園の隣にある本堂の前まで来ると、小さな両手を合わせ、「なまんだぶ、なまんだぶ」と、お参りをしてから園に入っていくというのです。

その姿を不思議に思った若坊守さんが、ある日、その女の子に「お利口さんね。どうして毎日お参りしているの?」と優しく尋ねてみたそうです。すると、三歳の女の子はこう答えました。「先生、ばーちゃんが亡くなったでしょ、それでね、園長先生に聞いてみたの」と。

若坊守さんが「園長先生(お寺のご住職でもあります)に、なにを聞いたの?」と聞き返すと、女の子は「ばーちゃんは死んで、どこに行ったの?って聞いたの」と言ったそうです。「それで、園長先生はなんて言ってた?」とさらに尋ねると、女の子は、本堂の阿弥陀さまの方を指さしながら、こう答えたそうです。「園長先生はね、『ばーちゃんはね、お浄土に行ったんじゃ。仏さまになって、嬢(じょう)ちゃんのこと、いつも見てござるんだよ』って言ったよ。だからね、私はおばーちゃんにお参りする気持ちで、毎日ここでお参りしているの」と。

たくさんのお育ての中で

この女の子は生まれてまだ三年です。生まれながらにして、自分から手を合わせて生まれてきた子どもがいるなどと、私は一度も聞いたことがありません。この幼い子どもが、ごく自然に手を合わせ、お念仏を申すようになるまでには、その背景に、どれほど多くの人々の温かい「育て」があったことでしょうか。そのことが目に浮かぶようです。

このお話に直接登場するのは、毎日手を引いて登園をしてくれる曾じいちゃん、保育園でやさしく子どもたちを見守ってくださる若坊守さんと園長先生(ご住職)。そして、今はもう目には見えませんが、きっとお浄土からこの子を見守ってくださっている亡きおばーちゃん。それ以外にも、その子の父母をはじめ、数えきれないほどの、まさに「百重千重」といわれるほど多くの人々に願われ、育てられ、愛されて、あのような可愛らしい合わす両手を持たせてもらったのでしょう。

今、私がこうして手を合わせ、お念仏申している、このわが身のすがたを思うとき、そこには、数えきれない沢山の方々からの「お育て」があり、そして何よりも、阿弥陀さまの、今ここにありありとはたらいてくださるお慈悲のお影(おかげ)を感じずにはおられません。

願いの中の私

まさに、あの御和讃にうたわれる通り、百重千重の願いの中に、この私が生かされていたのでありました。