西村法剱和上と村上正平(明治時代のお話)
明治時代の初め頃、大分県の中津市に、西村法剱(にしむら ほうけん)和上(わじょう)という、大変尊敬されたお坊さまがおられました。「清僧(せいそう)」、つまり私利私欲のない清らかな僧侶として知られ、お寺に寄せられたお布施なども、ご自身のためではなく、ほとんど地域の貧しい人々や村のために使ってしまい、かえってお寺の坊守(ぼうもり)さん(奥さま)にいつも心配されていた、という逸話も残っているほどの方です。
ある時、その西村和上の元へ、村上正平(むらかみ しょうへい)という人がやって来て、このように詰め寄ったそうです。
「和尚(おしょう)、お前さんはいつも『地獄がある、極楽がある』と言うて、人々をたぶらかしておるが、実際に地獄や極楽を見たことのある者など、誰もいやせんじゃないか!」
すると、その言葉を聞いた和上は、カッと激怒されて、こう聞き返されたといいます。
「やかましい! それならば聞くが、貴様は、自分の後頭(こうとう:あたまの後ろ)と尻の穴を、この眼(まなこ)で直接見たことがあるか!」
突然そう問われた正平は、面食らって答えます。
「いや、そりゃあ、自分で直接見たことはなかですたい」
和上はさらに続けます。
「ほうか。そんならお前には、後頭も尻の穴もないのか!」
正平は慌てて言い返します。 「いやいや、ちゃんとあります! 触ってみれば分かりますけん!」
すると和上は、さらに声を荒げて言われました。 「馬鹿者! 今は触って分かるかどうか、という話をしとるんじゃなか! 見えるか見えないかの話しとるんじゃ!」
正平は答えます。 「それなら…鏡を置いて、それに映して見れば分かります」
それを聞くと、和上は、まるで子どもを諭すような口調で、こう言われたそうです。
「それ見ろ! やはり鏡がないと見えんじゃろうが。それと同じじゃ。地獄も極楽も、凡夫(ぼんぶ)の眼には直接は見えん。しかし、御仏(みほとけ)の智慧(ちえ)の鏡によって、はっきりと見ることができるのじゃ!」
その和上の気迫と理路整然とした言葉に、正平はぐうの音も出ず、ただ背中を丸めてその場を去り、二度と和上の前に姿をあらわすことはなかった、と伝えられています。
見えるもの、見えないもの
世の中には、私たちの目に見えるものと、目には見えないものがあります。私自身、目に見えるものに対しては疑いを持つことはあまりありませんが、目に見えないものについては、ただ話を聞いただけでは、なかなか素直に信じることができない、という頑(かたくな)な心を持っています。
科学技術が発達した現代においては、「地獄だとか、お浄土だとかいうのは、昔の坊さんが人を怖がらせたり、安心させたりするために作った、ただの『つくりごと』だよ」と、先の村上正平のように、頭から決めつけて、あしらってしまう人も少なくないかもしれません。
見えないけれど、確かにあるもの
けれど、考えてみれば、例えば、親が子を思う深い愛情というものも、直接目に見えるものではありません。
中国の古い詩に、「母は、酒を含んで子供の横に添い寝する」という一節があると聞きます。
これは、夏の蒸し暑い夜、蚊(か)に刺されてかゆがる我が子の姿を見て、何とかしてあげたいと思う母親が、自分がお酒を含んで体の表面に塗り、子供ではなく自分の方に蚊が集まるようにして、子供が安らかに眠れるようにと願う、という親心を表した詩だそうです。子どもが寝ている間、その子の知らない間にも、子どものために絶えずはたらき続けてくれている存在。それが親というものではないでしょうか。この親の愛情も、形として見えるものではありませんが、確かに存在します。
私のために仕上げられた世界
真実(まこと)の親さまである阿弥陀さまが、この私の、どうしようもない苦しみや悲しみ、そして煩悩(ぼんのう)の姿をすべて見抜いた上で、「この子を必ず救いたい」と願い、私のために仕上げてくださった、清らかな安らぎの世界。それが、お浄土であります。
お浄土も、私たちの肉眼で見えるものではありません。しかし、阿弥陀さまの智慧の鏡、すなわち「南無阿弥陀仏」のお念仏の教えを通して、私たちは、その世界の存在を、確かに知ることができるのです。