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質問一覧
- お仏壇を迎える意味は?
- お仏壇の中心におまつりする仏さまは?
- お仏壇の脇には何を掛けるのですか?
- 亡き人はどこへ?
- お仏壇はどこへ置くのが良いですか?
- お仏壇を迎えたら何をするのですか?
- お仏壇のおかざり(お荘厳)について教えてください。
- 線香と焼香の違いと作法は?
- 位牌は必要ですか?
- 浄土真宗のお墓について教えてください。
- 納骨はいつすれば良いですか? お墓参りの意味は?
- 分骨はいけないことですか?
- お墓の継承について悩んでいます。
- 法事の意味は何ですか?
- 中陰法要について教えてください。
- 法事は何回忌まで勤めるのですか?
- お盆には何をすれば良いですか?
- お彼岸とは何ですか?
- 葬儀は何のために行うのですか?
- 亡くなったら、どこへ行くのですか?
- 葬儀の形(家族葬など)について教えてください。
- お通夜は何のためにするのですか?
- 浄土真宗の「法名」とは何ですか?「戒名」とは違うのですか?
- 法名をいただきたいのですが、どうすればよいですか?
- 念珠(数珠)はどのように持つのですか?
- 合掌・礼拝の仕方を教えてください。
- 金封(お金を入れる封筒)の表書きはどうすればよいですか?
- お釈迦さまは実在した人物ですか?
- 本願寺が東西に分かれたのはなぜですか?
- お寺の宗派は何ですか?
- 開門時間は決まっていますか?
- 駐車場はありますか?
- 車イスでも参拝できますか?
- お寺の人を何と呼べばいいのですか?
- お参りするとき、お寺の人に何も言わずに本堂へ上がってもよいのでしょうか? 住職やお寺の人に用事があるとき、どこを訪ねたら良いのでしょう?
- 檀家(門徒)でなくても、法話などを聞きに行っていいのでしょうか?
- 法要などに参加する際、持ち物は何が必要ですか?
- 法要への参加に費用はかかりますか?
- 浄土真宗とはどんな宗派ですか?
- 主な聖典(お経)は何ですか?
- 「南無阿弥陀仏」と称える意味は何ですか?
- 「他力本願(たりきほんがん)」とはどういう意味ですか?
- 「悪人正機(あくにんしょうき)」とはどういう意味ですか?
- 浄土真宗では、現世利益(げんぜりやく)を祈ったり、お守りを持ったりしないのですか?
- 浄土真宗の僧侶は結婚したり肉食したりしても良いのですか?
- お寺が「お西」(本願寺派)か「お東」(大谷派)か、どうすれば分かりますか?
- お仏壇のお花は、仏様の方ではなく、こちら向きにお供えするのはなぜですか?
- ロウソクを灯すのはなぜですか?
- 造花をお供えしても良いですか?
- 食べ物は何をお供えしたらよいですか?
- お仏壇の扉は開けたままでいいのでしょうか?
- お仏壇を安置している部屋の上の階(二階など)を人が歩いても失礼にあたりませんか?
- お参りの際に、お鈴(おりん)を鳴らしますか?
- お経は、お坊さんだけが読むものですか?
- お線香は立てるのですか、寝かせるのですか?
- 「友引(ともびき)」に葬儀をしてはいけないのですか?
- 満中陰法要(四十九日法要)は、いつ行えばいいでしょうか?
- 法事の時には、何を準備すればよいですか?
- お墓参りの際、墓石に水をかけたり、お酒をかけたりしても良いですか?
- 法事には、どのような服装で参列するのが相応しいですか?
- 実家が違う宗派なのですが、実家のお墓にお参りしても良いですか?
- 法名の最初についている「釋(しゃく)」という字には、どんな意味があるのですか?
- 浄土真宗の法名には、「居士(こじ)」「大姉(だいし)」などが付かないのはなぜですか?
- 法名をいただくには、どうすればよいですか? 帰敬式(ききょうしき)とは何ですか?
- お布施はいくら包めばよいですか? 目安はありますか?
- お布施は、いつ、誰に渡せばよいですか?
- お寺や僧侶にお渡しするお布施の封筒には、何と書けばよいですか?
- 浄土真宗について学ぶためにおすすめの本はありますか?
- 法話(ほうわ)には、どのような意味があるのですか?
お仏壇
Q: お仏壇を迎える意味は?
A: お仏壇は、私たちの真実の依りどころである阿弥陀さまの、温かいお心(まごころ)に触れさせていただく大切な場所です。また、阿弥陀さまのお救いによって仏となられた亡き方が、いつも私たちを見守り、導いてくださっていることを感じさせていただく場でもあります。お仏壇を通して、亡き方と私が、ともに阿弥陀さまの光に包まれていることを味わい、心を通わせるのです。 ご家族を亡くされた方はもちろん、心の拠り所を大切にしたい方、日々の暮らしの中で仏さまに見守られていたいと感じる方、どなたにとっても、お仏壇は阿弥陀さまをお迎えし、その教えに触れるための大切なご縁となります。まずは、ご自身の生活空間にお仏壇をお迎えすることをお勧めします。
A: お仏壇の中心、そしてお寺の本堂の中心におまつりされている仏さまは「阿弥陀如来(あみだにょらい)」です。浄土真宗のご本尊です。 阿弥陀如来は、『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』という浄土三部経(じょうどさんぶきょう)に説かれており、「すべての者を分け隔てなく、必ず浄土へ救いとる」という誓い(本願)を建て、その願いを成就された仏さまです。 現世利益(げんぜりやく)、例えば病気平癒や商売繁盛などを願う対象ではありません。そのような個人的な祈願をしても効果はありません。浄土真宗の寺院にお守りや祈願・祈祷がないのは、この阿弥陀如来をご本尊としているからです。阿弥陀如来は、必ず命終えていく私たちを、お浄土へと導き救ってくださる仏さまです。 (ちなみに、お釈迦さま(おしゃかさま)は歴史上実在された人物ですが、阿弥陀如来は仏さまですので、違いを理解しておきましょう。)
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お仏壇の中心にはどなたをお迎えするの?
ご家庭のお仏壇、そしてお寺の本堂の中心には、どなたがおまつりされているかご存知でしょうか?今回は、この大切な問いについて、浄土真宗の教えからお話しさせていただきます。 1. お仏壇の中心は「阿弥陀如来 ...
A: お仏壇の中央にご本尊である阿弥陀如来(絵像または「南無阿弥陀仏」の名号)をおまつりし、その両脇には、向かって右に浄土真宗の宗祖(しゅうそ)である親鸞聖人(しんらんしょうにん)の御影(ごえい)または「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」の名号、向かって左に本願寺中興(ちゅうこう)の祖である蓮如上人(れんにょしょうにん)の御影または「南無不可思議光如来(なもふかしぎこうにょらい)」の名号をお掛けするのが一般的です。
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お仏壇の脇掛(わきがけ)について
お仏壇の中心には、浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来さま(絵像または「南無阿弥陀仏」の名号)をお迎えすることをお話ししました。では、そのご本尊である阿弥陀さまの両脇には、何をお掛けすればよいのでしょうか ...
A: 浄土真宗では、亡き人は阿弥陀さまのお救いによって、この世の命が終わると同時にお浄土に往き生まれ、仏さまになられると教えられます。お浄土は、私たちの想像を超える真実の世界です。お仏壇は、その尊いお浄土の世界を形として表したものです。 亡き人は、お仏壇の中や、どこか特定の場所にいるのではありません。仏さまとなって、いつでも、どこでも、私たちに寄り添い、お浄土への道を照らし、導いてくださっています。お仏壇は、その仏さまとなられた亡き人に出遇わせていただくための、大切な場所なのです。
A: お仏壇を置く場所は、ご家族皆がお参りしやすく、心が落ち着ける場所が一番です。人の出入りが多い場所や、お参りの際に逆光になる場所は避けた方が良いかもしれません。 よく「北向きは良くない」「二階の部屋の真下は良くない」などと言われますが、仏さまは場所や方角を選びません。浄土真宗では、方角や位置についての吉凶(きっきょう)はありませんので、俗信に惑わされず、ご自身の家の中で最もお参りしやすい、静かな場所を選んでご安置(あんち)してください。毎日手を合わせ、阿弥陀さまの教えに触れることが大切です。 (「北向きが良くない」と言われるようになった背景には、昔の家屋で北側が湿気(しっけ)やすかったことへの配慮や、亡くなった方を北枕(きたまくら)にする習わしからの連想などがあるようですが、仏教的な根拠はありません。)
A: 新しいお仏壇にご本尊をお迎えする際には、「入仏法要」または「入仏式」と呼ばれる法要を行います。これは、僧侶が仏さまの「魂」を入れる儀式ではありません。浄土真宗では、「お魂入れ」や「お性根(しょうね)入れ」とは言いません。 入仏法要は、私たちにとって最も大切な阿弥陀さまをお迎えできたことを喜び、そのお徳を讃(たた)え、感謝する法要です。 お仏壇をお迎えしたら、まず所属のお寺にご相談いただき、ご本尊の安置や入仏法要をお願いしましょう。
A: お仏壇のおかざり(お荘厳、おしょうごん)は、阿弥陀さまの尊いお心(まごころ)を、形を通して味わうために行います。お仏壇を美しく整えることで、敬いの心を深め、仏さまのお心に触れさせていただきましょう。 おかざりの基本は、「三具足(みつぐそく)」と呼ばれる仏具の配置です。三具足とは、灯明(ローソク)を立てる燭台(しょくだい)、お香を供える香炉(こうろ)、お花を供える花瓶(かびん)の三つです。また、お仏飯(ぶっぱん:ご飯)は、ご本尊の真ん前にお供えします。これらを基本として、心を込めておかざりしましょう。(法事の際は、より丁寧な「五具足」を用いることもあります。)
A: お香には、日常的に用いる棒状の「線香」と、法事などで用いる粉末状の「焼香用のお香(抹香、まっこう)」があります。 日常のお参りで使う線香は、土香炉(どごうろ:陶磁器製の香炉)で焚(た)きます。浄土真宗では、線香は立てずに、適当な長さ(2~3本ほど)に折り、火をつけた方を左に向けて、香炉の中に横に寝かせます。お参りの際は、まずこのように線香を供え、その後、合掌礼拝します。 作法は以下の通りです。
- ご本尊の前まで進み、手前で一礼します。
- 焼香卓の前に進み、香炉の蓋があれば取って縁に掛けます。
- 右手で抹香を少量つまみます。
- つまんだお香を額(ひたい)の高さまで上げる(おしいただく)ことはしません。
- そのまま、つまんだお香を香炉の火種の上にくべます。
- この焼香は1回だけ行います。
- 香炉の蓋があれば元に戻し、合掌・礼拝します。
- 終わったら、少し下がり、ご本尊に向かって一礼して席に戻ります。 大切な点は、**「(抹香は)おしいただかない」「回数は1回」**ということです。
A: 浄土真宗では、「位牌(いはい)」は用いません。位牌は、もともと中国の儒教(じゅきょう)において、故人の官位や姓名を記し、そこに霊が宿ると考えられていたものです。この考え方は、亡き人は阿弥陀さまの救いによってお浄土に仏として生まれる、といただく浄土真宗の教えとは異なります。 浄土真宗では、故人の法名(ほうみょう)・俗名(ぞくみょう)・死亡年月日などを記録するために「過去帳(かこちょう)」を用います。法事などの際に過去帳を置く場合は、過去帳台という台に載せて開き、お仏壇の中段か下段に、ご本尊が見えにくくならないように置きます。過去帳の前にお水やお供え物をすることはありません。
お墓
A: 浄土真宗のお墓について、形などに厳密な決まりはありませんが、大切にしたい考え方や注意点があります。
- お墓を建てる際は、まず所属のお寺(お手次寺)に相談しましょう。
- 墓相(方角や形の吉凶)などの迷信に惑わされないようにしましょう。
- 墓石の形は、伝統的な和型、洋型など、特にこだわる必要はありません。
- 墓石の正面には、念仏の言葉である「南無阿弥陀仏」や、「倶会一処(くえいっしょ:ともに一つの場所(浄土)で会う)」といった言葉を刻むのが一般的です。
- 墓地内に、観音像や地蔵像、宝塔などを建てることはしません。
- 建立年月日などを刻む際に「吉日」といった文字は用いません。
- 故人の名を刻む石(墓誌)は、「霊標」ではなく「法名碑(ほうみょうひ)」と呼びます。 お墓が完成したら、「建碑式(けんぴしき)」という法要を行います。「お性根入れ」や「魂入れ」とは言いません。
A: ご遺骨をお墓に納める「納骨(のうこつ)」の時期に、特に決まりはありません。ご遺族のお気持ちや状況に合わせて、満中陰(まんちゅういん:四十九日)や百か日、一周忌などを目安に行われることが多いようです。納骨の際は、必ず所属のお寺に依頼し、納骨法要のお勤めをしていただきましょう。 お墓参りの際は、お墓をきれいに掃除し、お花やお香(線香)をお供えし、静かに手を合わせます。 浄土真宗では、亡き人はお墓の中にいるのではなく、阿弥陀さまの救いによりお浄土に生まれ仏さまになっておられると受け止めます。仏さまとなられた亡き人は、いつも私たちに寄り添い、真実の道を歩むようにと願っておられます。 お墓参りは、亡き人を偲び、その願いを聞かせていただくとともに、この世の無常(全てのものは移り変わるということ)を見つめ、確かな依りどころである念仏の教えを味わう、大切な仏縁なのです。
A: ご遺骨を複数の場所に分けて納めることを「分骨」と言います。「分骨すると故人が成仏できない」といった俗信がありますが、これは誤解です。浄土真宗では、亡き人は肉体や遺骨そのものではなく、阿弥陀さまの救いによって仏さまという尊い存在になられています。遺骨は、その亡き人を偲び、仏縁を深めるための大切な「縁」となるものです。 ご遺骨を分けることで、より多くのご縁のある方々が、それぞれの場所で亡き人を偲び、阿弥陀さまの広大な慈悲に出遇う機縁(きえん)となるのであれば、分骨はいけないことではありません。
A: 近年、お墓を持たない供養の形や、永代供養墓など、納骨のあり方も多様化しています。どのような形を選ぶかは、ご自身の信仰や死生観(しせいかん)、そしてご家族の状況に合わせて考えることが大切です。 お墓は、単にご遺骨を納める場所というだけでなく、亡き人を縁として、遺された私たちが阿弥陀さまの教えに出遇い、仏縁を深めていくための大切な場所です。お墓を継承していくかどうか、どのように管理していくかは、故人を敬い、仏法に出遇うご縁をどのように繋いでいくか、という視点で、ご家族やご親族とよく話し合って決めていくことが望ましいでしょう。お困りの場合は、所属のお寺にご相談ください。
仏事・法要
A: 法事とは、仏法に遇うための行事全般を指しますが、一般的には、故人の命日に合わせて勤める年忌法要(一周忌、三回忌など)を指すことが多いです。 法事は、亡き人をご縁として勤められるため、「亡き人のために」行うもの、つまり「追善供養(ついぜんくよう:故人の冥福を祈り、善い行いの功徳を故人に振り向けること)」と思われがちです。 しかし、浄土真宗では、亡き人は阿弥陀さまの救いによって、すでにお浄土に生まれ仏さまになっておられると考えます。そのため、私たちが功徳を振り向けて故人を救う必要はありません。法事は、亡き人を偲びつつ、この私自身が仏法を聞き、阿弥陀さまの教えに出遇わせていただくための、大切な機会なのです。「私のための」仏縁として、法事を大切に勤めましょう。
A: 亡くなられた日から数えて、七日ごとに勤める法要を「中陰法要(ちゅういんほうよう)」といいます。最初が初七日(しょなのか)、次が二七日(ふたなのか)、そして七回目の七七日(なななのか:四十九日)を満中陰(まんちゅういん)と呼び、この日をもって忌明(きあ)けとします。 世間には「四十九日が三ヶ月にわたると縁起が悪い」といった迷信がありますが、浄土真宗では気にする必要はありません。暦(こよみ)の都合で三ヶ月にわたる場合でも、通常通り四十九日を満中陰として勤めます。 中陰法要は、故人の成仏を願う追善供養ではありません。遺されたご家族が、故人を偲びつつ、阿弥陀さまの慈悲に触れ、仏法を聞かせていただきながら、深い悲しみから少しずつ立ち直っていくための大切な期間であり、そのための法要です。
A: 「法事はいつまで勤めるものですか?」というご質問をいただくことがあります。「五十回忌で終わり(弔(とむら)い上げ)」と考えている方もいらっしゃるようですが、浄土真宗では、法事に終わりはありません。 なぜなら、法事は故人のためだけに行うのではなく、今を生きている「私のため」の仏縁だからです。故人を偲び、そのご縁を通して、阿弥陀さまの教えを聞かせていただき、生かされている「いのち」の尊さを味わう機会です。生前をよく知る方であればその遺徳(いとく)を偲び、遠い先祖であっても、その方々のおかげで今の私があり、尊い仏法が伝えられてきたことに感謝するご縁となります。 ですから、「何回忌で終わり」と区切るのではなく、ご自身が生きている限り、仏法に出遇う大切な機会として、可能な範囲で法事を勤めていくことが望ましいのです。
A: 浄土真宗では、お盆の時期に、精霊棚(しょうりょうだな)を作ったり、キュウリやナスで馬や牛の飾りを作ったり、迎え火・送り火を焚いたりするような特別な準備やお飾りは行いません。これらは、ご先祖の霊が家に帰ってくるのを迎えてもてなす、という考え方に基づく風習ですが、浄土真宗の教えとは異なります。 お盆(盂蘭盆会、うらぼんえ)は、お釈迦さまの弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼道(がきどう)に堕ちた母を救おうとした故事(こじ)に由来します。この故事は、特定の先祖だけを供養するのではなく、私たちが仏法を拠り所とし、阿弥陀さまのはたらきに感謝し、その教えを聞かせていただくことの大切さを示しています。 ですから、お盆の時期も、普段通りお仏壇の阿弥陀さま(ご本尊)に感謝し、お供えをしてお参りし、お寺の法要などに参加して、仏法に触れる機会とすることが大切です。
A: お彼岸は、春分の日と秋分の日を中日(ちゅうにち)として、その前後三日間を合わせた一週間の期間を指します。「彼岸」とは、迷いの世界である「此岸(しがん:こちらの岸)」に対して、悟りの世界である「彼岸(ひがん:向こう岸)」、すなわち阿弥陀さまのお浄土を表す言葉です。 浄土真宗では、私たちが自力(じりき)の修行によって悟りを開くのではなく、阿弥陀さまの本願力(ほんがんりき:他力、たりき)によってお浄土へ往き生まれると教えられます。日々のお念仏の生活が基本ですが、このお彼岸の期間は、改めて私たちをお浄土へ迎え入れてくださる阿弥陀さまのお徳を讃え、そのお心を聴聞(ちょうもん:教えを聞くこと)させていただく大切な仏縁としています。 お彼岸は、亡き人がいる「あの世」を供養する期間ではありません。お浄土に生まれた故人を偲びつつ、私たち自身がお浄土へ往く道である念仏の教えに耳を傾ける、大切な機会なのです。
葬儀
A: 葬儀は、亡き人の死を通して、遺された私たちが「いのち」の尊さと無常を見つめ、阿弥陀さまの救いに出遇い、人生をより深く生きるための大切な儀式です。「葬」という字には、亡骸(なきがら)を前に死を受け入れ、故人を敬う存在としていく、という意味合いが含まれています。 浄土真宗の葬儀は、単なるお別れの儀式ではありません。故人が阿弥陀さまの救いによってお浄土に往き生まれ、仏さまとなられたことを確認し、私たちもまた同じ道を歩ませていただく身であることを、阿弥陀さま(ご本尊)の前で確かめる、厳粛(げんしゅく)で大切な仏事なのです。
A: 浄土真宗では、阿弥陀さまを信じ、念仏を申す人は誰でも、この世の命が終わると同時に、阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ、仏さまになると教えられます。これを「往生即成仏(おうじょうそくじょうぶつ)」と言います。阿弥陀さまは、どのような者であっても、必ずお浄土に救いとり、仏に成らせると誓っておられます。 ですから、亡き人のいのちは「死」で終わるのではありません。阿弥陀さまの広大な慈悲によって、永遠のいのちを持つ仏さまとして、お浄土から私たちを導き続けてくださる存在となるのです。「死」ではなく「生まれる(往生)」と表現することに、阿弥陀さまの救いの確かさが示されています。(一般的に使われる「天国」ではなく「浄土」です。)
A: 葬儀には、社会的な繋がりの中で行われる社葬や団体葬から、ごく近しい親族のみで行う家族葬や密葬まで、様々な形態があります。これは、故人やご遺族の状況や考え方によって選択されるものです。 どのような形態であっても、葬儀の本質は変わりません。それは、故人の死をご縁として、遺された人々が阿弥陀さまの教えに触れ、故人を偲び、いのちの尊さについて考える大切な仏事であるということです。大切なのは、形式の大小ではなく、心を込めて故人を送り、仏法を聞かせていただくことです。
A: 葬儀の前夜に行われる「お通夜(つや)」は、文字通り、近親者や親しい人々が、夜を通して故人のそばに付き添い、故人を偲びながら、阿弥陀さまの教えを聞かせていただくための大切な法事です。単に夜を通して番をするということではありません。 昔は「夜伽(よとぎ)」とも言われました。これは、心を許し合った者同士が、夜を通して語り合うという意味です。お通夜は、故人が声なき声で私たちに伝えてくれるメッセージに静かに耳を傾け、また、私たちが故人に伝えたい想いを語りかける、最後の貴重な時間であり、共に仏法を聞かせていただく場なのです。
礼儀・作法
Q: 浄土真宗の「法名」とは何ですか?「戒名」とは違うのですか?
A: 浄土真宗では、仏弟子(仏さまの弟子)となった証としていただく名前を「法名(ほうみょう)」といいます。これは本来、生きている間に「帰敬式(ききょうしき)」(「おかみそり」とも言います)という儀式を受けて、仏法に帰依(きえ)する者としての自覚を持つ証として、本願寺のご門主(もんしゅ)さまから授(さず)けられるものです。 一般的に戒名という言葉が使われることがありますが、これは厳しい戒律を守る修行をする宗派で用いられる名称です。阿弥陀さまの本願(衆生を救うという誓い)を信じ、念仏申す身として生かされる浄土真宗の教えとは異なるため、戒名とは言わず「法名」と言います。法名には通常、「釋(しゃく)」または「釈(しゃく)」の字が頭につけられます。
A: 法名は、生前にいただくことができます。京都の本山本願寺では毎日、帰敬式(ききょうしき)が行われており、そこで法名を授与されます(一定の懇志(こんし)が必要です)。また、山口県では年に一度、山口市にある山口別院でも帰敬式が開催されます。 内願(ないがん)といって、ご自身の希望する漢字を法名に入れることも可能です(相応しい漢字かどうか、事前にご相談ください)。 亡くなってから、よく分からないまま名前がつけられるよりも、生前に自ら仏法に帰依し、法名をいただくことには大きな意味があります。詳しくはお寺にお尋ねください。
A: 念珠(ねんじゅ)は、仏さまを礼拝する際の敬いの心を表す大切な法具(ほうぐ)です(お守りや、数を数える道具ではありません)。 普段は、房(ふさ)が下になるようにして左手で持ちます。これにより、自然と右手で線香を供えたり、焼香を行ったりすることができます。 合掌する際は、念珠を両方の親指と人差し指の間にかけ、房は下に垂らします。珠を擦り合わせたり、強く握りしめたりはしません。 念珠は大切な法具ですので、畳や床に直接置いたりせず、丁寧に扱いましょう。
A: 合掌礼拝(がっしょうらいはい)の作法は以下の通りです。
- 胸の前で両手をぴったりと合わせ、指先を自然に伸ばし、わずかに(約45度程度)上方に向けます。(念珠は親指と人差し指の間にかけます)
- 「南無阿弥陀仏」(なもあみだぶつ)と念仏を声に出して称えます。
- 礼拝は、合掌したまま上体を約45度前に傾け、静かにもとの姿勢に戻します。
Q: 金封(お金を入れる封筒)の表書きはどうすればよいですか?
A: 葬儀や法事などの仏事において、金封の表書きには、いくつか種類があります。
- 喪主や施主が、お寺や僧侶にお渡しする場合: これは、読経などのお礼としてではなく、お寺のご本尊である阿弥陀さまへの「お供え」という意味合いです。そのため、「御布施(おふせ)」と書くのが最も丁寧で一般的です。「御礼」「御経料」「御回向料」といった書き方は、浄土真宗の考え方からはあまり用いません。
- 参列者が、喪主や施主にお渡しする場合: 葬儀や法事に参列する際に持参する香典袋などの表書きです。一般的には「御霊前(ごれいぜん)」が広く使われていますが、浄土真宗では、亡き方はすぐに仏さま(お浄土)になると考えるため、「霊」という考え方はしません。そのため、「御仏前(ごぶつぜん)」と書くのがより適切です。他に、「御香典(ごこうでん)」や「御香資(ごこうし)」なども用いられます。(※葬儀の際に「御霊前」が慣習となっている地域もありますので、ご不明な場合は周囲の方にご確認いただくのも良いでしょう。)
教えの基本
A: はい、お釈迦さま(釈尊、しゃくそん)は実在された歴史上の人物です。およそ2500年前、現在のネパール付近にあったカピラ国の王子としてお生まれになりました。お名前をゴータマ・シッダッタ(シッダールタ)といいます。裕福な生活を送られていましたが、人生の苦悩(生老病死)を目の当たりにし、その解決の道を求めて出家(しゅっけ)されました。厳しい修行の末に悟りを開き、「仏陀(ぶっだ)」となられ、生涯にわたって多くの人々にその教え(仏教)を説かれました。 (浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来は、お釈迦さまが私たちに説き示してくださった仏さまです。)
浄土真宗の歴史
A: 本願寺が東西(現在の浄土真宗本願寺派「お西」と真宗大谷派「お東」)に分かれるきっかけは、戦国時代の石山合戦(いしやまかっせん)後の出来事にあります。 織田信長との10年にも及ぶ戦いの末、当時の門主(もんしゅ)であった顕如(けんにょ)は、朝廷(ちょうてい)の仲介(ちゅうかい)を受け入れ、本拠地(ほんきょち)であった石山本願寺(現在の大阪城の場所)を明け渡すことを決めました。顕如と三男の准如(じゅんにょ)はこの和睦(わぼく)に従いましたが、長男の教如(きょうにょ)は徹底抗戦(てっていこうせん)を主張し、すぐには退去(たいきょ)しませんでした。 この意見の対立が元となり、顕如の後継者を巡る問題などが複雑に絡み合いました。最終的に、豊臣秀吉や徳川家康の時代を経て、1602年、教如が徳川家康から寺地(じち)の寄進(きしん)を受け、現在の東本願寺を建立(こんりゅう)したことにより、本願寺は事実上、准如が継いだ本願寺(現在の西本願寺)と二つに分かれることになりました。(ちなみに、顕如の次男・興正(こうしょう)は、現在の真宗興正派の本山・興正寺を継いでいます。)
寺院参拝・法要への参加について
A: 京都の本願寺(通称:西本願寺、正式名称:龍谷山本願寺)をご本山とする「浄土真宗本願寺派」です 。これは、同じ浄土真宗でも大谷派(東本願寺)など他の宗派や、他の仏教宗派と区別するために重要です。
A: 開門時間(午前8時)と閉門時間(午後5時)が定められています。行事等で変動することもあります。もし納骨堂に夕方お参りする場合は、本堂会館を開けておきますので、遅くなる場合にはご連絡ください。
A: あります。本堂正面まで上がって来られると、駐車場があります。ただし7台ほどしか停められないので、満車の場合には、下境内の駐車場をご利用ください。
A: バリアフリーに対応しています。駐車場から車椅子で、本堂・会館・納骨堂と車椅子で参拝することができます。詳しくは事前に確認することをお勧めします 。
A: 一般的には、住職(じゅうしょく)とその配偶者など寺院を支える方を坊守(ぼうもり)と呼びます 。「和尚(おしょう)さん」とは呼びません 。これは、「和尚」が師弟関係や修行による階位を前提とする呼称であり、阿弥陀仏の慈悲のもとでは皆が等しく救われると説く浄土真宗の教えや、僧侶が「師」というよりは共に教えを聞く仲間(御同朋・御同行)であるという考え方に馴染まないためです 。
Q: お参りするとき、お寺の人に何も言わずに本堂へ上がってもよいのでしょうか? 住職やお寺の人に用事があるとき、どこを訪ねたら良いのでしょう?
A: 通常、お参りのために本堂へ上がる際に特別な許可は不要です 。ご用事がある場合は、玄関(庫裡)の呼び鈴にてお訪ねください 。
Q: 檀家(門徒)でなくても、法話などを聞きに行っていいのでしょうか?
A: はい、問題ありません。報恩講(ほうおんこう)や永代経(えいたいきょう)などの定例法要や法話会は、どなたでも歓迎しています 。むしろ、所属寺院に関わらず、様々な場所で教えを聞く(聞法・聴聞)ことが勧められています 。ただし、仏教婦人会や壮年会など、特定の会員向け行事の場合は、事前の確認が必要なこともあります 。
A: 念珠と、お持ちであれば聖典(せいてん)を持参するとよいでしょう 。聖典は寺院で借りられます 。浄土真宗の門徒として正式に参加される場合は、門徒式章(もんとしきしょう)を身に着けます 。
A: 事前に会費などの告知がない限り、通常、参加費は不要です 。お布施はこれとは別に、感謝の気持ちを表すものです。
教義・信仰について
A: 親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖と仰ぎ、阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(ほんがん、すべての人々を救おうという誓い)を信じ、「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」のお念仏を称えることで、阿弥陀仏の力(他力)によって浄土に往生し仏となる道を教える宗派です 。自らの力(自力)で悟りを目指すのではなく、阿弥陀仏の願いを聞かせていただく(聞法)ことを大切にします 。家庭生活を営みながら信仰の道を歩む「在家仏教(ざいけぶっきょう)」としての性格を持ちます 。
A: お釈迦様が説かれた『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』の三つを「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」と呼び、根本聖典とします 。また、宗祖親鸞聖人の主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』、特にその中にある『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』(通称:正信偈)や、中興の祖とされる蓮如上人(れんにょしょうにん)の『御文章(ごぶんしょう)』も、日常のお勤めや法話などで広く用いられます 。日常勤行では『正信偈』や、『阿弥陀経』の一部である『讃仏偈(さんぶつげ)』『重誓偈(じゅうせいげ)』などがよく読まれます 。
A: 「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」とは、「阿弥陀仏に帰依(きえ)します(おまかせします)」という意味です 。浄土真宗では、お念仏を称えることによって浄土へ往生できるのではなく、阿弥陀仏の救いがすでに定まっていること(信心)への感謝の表現としてお念仏を称えます 。阿弥陀仏からの呼びかけを聞き、それに感謝して応える行為が「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」です 。
Q: 「他力本願(たりきほんがん)」とはどういう意味ですか?
A: 一般に誤解されがちですが、他人任せや依存心のことではありません 。阿弥陀仏がすべての人々を救おうと誓われた願い(本願)とそのはたらき(力、他力)に、すべてをおまかせすることを意味します 。自分の力(自力)ではどうすることもできない迷いの身であると知り、阿弥陀仏の救済力に身を委ねる生き方です 。
Q: 「悪人正機(あくにんしょうき)」とはどういう意味ですか?
A: これは親鸞聖人の重要な教えの一つで、「阿弥陀仏が本当に救おうとしておられるのは、自らを善人と思い、自力で悟れると考える人(善人)ではなく、自分自身の力ではどうにもならない煩悩を抱えた存在(悪人)であると自覚し、阿弥陀仏の救いにすがるしかない者こそである」という考え方です 。善人ですら救われるのだから、自らを悪人と認め、仏の救いを求める者が救われないはずがない、という意味合いを持ちます 。自己中心的な欲望(煩悩)から離れられない私たち凡夫こそが、阿弥陀仏の慈悲の主な対象であるという、他力本願の思想と深く結びついています 。この「悪人」とは、社会的な罪人という意味だけでなく、仏法の視点から見て、煩悩から逃れられない全ての人間を指します 。この自覚があって初めて、阿弥陀仏の他力に心から身を委ねることができるのです。
Q: 浄土真宗では、現世利益(げんぜりやく)を祈ったり、お守りを持ったりしないのですか?
A: はい、浄土真宗では特定の現世的な利益(病気平癒、商売繁盛など)を願う祈祷(きとう)やお守り、占いなどに頼ることはしません 。どのような時も私たちを見捨てることのない阿弥陀仏の働き(本願力)を信じ、感謝の生活を送ることを教えの中心とするためです 。お念仏の教えによって、現世を力強く、明るく生き抜くことが勧められます 。
Q: 浄土真宗の僧侶は結婚したり肉食したりしても良いのですか?
A: はい。浄土真宗は、伝統的な仏教教団で定められていた、僧侶が肉食(にくじき)や妻帯(さいたい、結婚すること)を禁じる戒律(かいりつ)を守ることを必須としません 。宗祖である親鸞聖人ご自身も結婚され、お子様がおられたと伝えられています 。これは、出家者だけでなく、在家の人々が日常生活の中で歩むことができる仏道を示したことの表れです。
Q: お寺が「お西」(本願寺派)か「お東」(大谷派)か、どうすれば分かりますか?
A: 浄土真宗本願寺派は、一般に「お西」と呼ばれます 。本山は京都の「西本願寺」(龍谷山本願寺)です 。大谷派は「お東」と呼ばれ、本山は「東本願寺」(真宗本廟)です。教義の根本は同じですが、お勤めの作法、親鸞聖人の御命日法要(報恩講)の日程、本堂の様式(例:阿弥陀堂と御影堂の位置関係)などに違いが見られます 。寺院の名称や、所属を確認するのが最も確実です。
日常のお参り・お仏壇について
Q: お仏壇のお花は、仏様の方ではなく、こちら向きにお供えするのはなぜですか?
A: お仏壇にお供えするお花(仏華、ぶっか)を、ご本尊側ではなく私たちの方へ向けるのは、阿弥陀仏の慈悲の心が、常に私たちに向けられていることを象徴するためです 。仏様の慈しみの心が、いつでも私たちを見守り、寄り添ってくださっていることを形に表しています 。このため、通常、トゲのある花(バラなど)や毒のある花(彼岸花など)は避けるのが望ましいとされます 。この花の向きは、単なる飾り方の違いではなく、阿弥陀仏の能動的な慈悲、つまり仏様の方から私たちに働きかけてくださるという浄土真宗の核心的な教えを視覚的に表現する重要な意味を持っています。
A: ロウソクの灯(灯明)は、お香(こう)、お花とともに、お仏壇の基本的なお供え(三具足、みつぐそく)の一つです 。灯りは、私たちの迷いの闇を破る阿弥陀仏の智慧(ちえ)の光を象徴しています 。
A: 生きているお花、季節のお花をお供えするのが基本です 。造花は、仏様のいのちや慈悲を表すにはふさわしくないとされることが多いです 。
A: 基本は炊き立てのご飯(お仏飯、おぶっぱん)です 。その他、果物やお菓子など、私たちが日々の糧としていただくものの中から、感謝の気持ちを込めてお供えします 。お供えは、亡き人のためというより、阿弥陀様への感謝の表現として行います 。
A: お仏壇は阿弥陀様をお迎えし、私たちがお念仏の教えに出遇う大切な場所ですので、基本的には常に開けておきます 。大掃除をしてホコリが舞い上がる場合など特別な事情がない限り、閉めたままにすることはありません。
Q: お仏壇を安置している部屋の上の階(二階など)を人が歩いても失礼にあたりませんか?
A: 本来であれば、仏様の上を歩くことは避けるべきですが、現代の住宅事情(マンションや二階建て住宅など)では、やむを得ない場合が多いです 。生活空間の中でお仏壇を大切にする気持ちがあれば、過度に気にする必要はありません。
A: いいえ、鳴らしません 。お鈴(りん)は、お経を読むお勤め(勤行、ごんぎょう)の始めや終わりなどの合図として使う仏具です 。個人で静かにお参りする際や、お焼香の際には鳴らす必要はありません 。
A: いいえ、法要などの席では、僧侶だけでなく参列者も一緒にお勤め(読経)をすることが勧められます 。お勤めは、阿弥陀様の徳を讃え、教えを聞かせていただく(聞法)大切な機会です 。また、家庭でも日々のお勤め(朝夕の勤行)をすることが奨励されています 。
A: 浄土真宗本願寺派では、お線香は立てずに、香炉(こうろ)の中に横に寝かせます 。適当な長さ(香炉の幅に合わせる)に折り、火をつけた側を左に向けて置くのが一般的です 。これは他の宗派と異なる作法の一つです。
葬儀・法事・お墓について
A: いいえ、友引に葬儀を行うことは問題ありません 。友引に葬儀を避けるというのは、六曜という暦注(民間信仰)に基づく俗信であり、仏教の教えとは全く関係ありません 。浄土真宗では、阿弥陀仏の本願力を信じるため、日の吉凶といった迷信にはとらわれません。このような俗信に惑わされることは、すべてを阿弥陀仏におまかせする他力の精神に反すると考えられます。
Q: 満中陰法要(四十九日法要)は、いつ行えばいいでしょうか?
A: 亡くなられた日から数えて49日目、またはそれより前に行うのが一般的です 。浄土真宗では、亡くなった方はすぐに浄土に往生されると考えるため、他の宗派のように故人が次に生まれる世界が決まる期間(中陰)とは捉えませんが、遺族にとっては、故人を偲び、仏法に触れて悲しみを受け止めていくための大切な節目となります 。
A: 基本的には、お仏壇のお飾り、お花、お香、ロウソク、お供え物(果物やお菓子など)、そしてお布施を準備します 。
Q: お墓参りの際、墓石に水をかけたり、お酒をかけたりしても良いですか?
A: お墓を清めるために水をかけることは一般的ですが、お供えとして習慣的に水をかけることは、特に浄土真宗の作法ではありません 。故人が好きだったからといって、お酒を墓石にかけることは、墓石を傷める可能性もあり、勧められません 。お供えしたい場合は、封を切らずに墓前にお供えし、持ち帰るのが良いでしょう。お墓参りでは、清掃、献花、お焼香(またはお線香)、そして合掌してお念仏を称えることが中心です 。
Q: 法事には、どのような服装で参列するのが相応しいですか?
A: 一般的に、一周忌くらいまでは喪服で参列される方が多いです 。それ以降の年忌法要では、喪服の方もいらっしゃいますが、地味な色の平服(派手でなく、カジュアルすぎない服装)で参列される方も増えています 。
Q: 実家が違う宗派なのですが、実家のお墓にお参りしても良いですか?
A: はい、問題ありません 。お墓参りは、宗派の違いに関わらず、故人やご先祖様を敬い、偲ぶ大切な行いです 。お参りの際には、ご自身の宗派(浄土真宗)の作法に則って、合掌しお念仏を称えればよいでしょう。
法名(ほうみょう)について
Q: 法名の最初についている「釋(しゃく)」という字には、どんな意味があるのですか?
A: 「釋(釈)」は、お釈迦様(釋迦牟尼仏、しゃかむにぶつ)の「釋」であり、その教えを受け継ぐ仏弟子(ぶつでし)となったことを意味します 。宗祖である親鸞聖人ご自身も「釋親鸞」と名乗られました 。阿弥陀仏の導きにより仏道を歩む者としての名告り(なのり)です。
Q: 浄土真宗の法名には、「居士(こじ)」「大姉(だいし)」などが付かないのはなぜですか?
A: 浄土真宗では、法名は基本的に「釋〇〇」の三文字で構成され、「居士」「大姉」「信士(しんじ)」「信女(しんにょ)」といった位階や性別を示す号(称号)は付けません 。これは、阿弥陀仏の前では全ての人が平等であり、社会的地位や性別、修行の程度に関わらず、信心ひとつによって等しく浄土に往生させていただくという教えに基づいているためです 。
Q: 法名をいただくには、どうすればよいですか? 帰敬式(ききょうしき)とは何ですか?
A: 法名は、本山(西本願寺)または別院などで執り行われる「帰敬式」(おかみそり、とも呼ばれます)という儀式を受けて、浄土真宗の門徒として仏・法・僧の三宝(さんぼう)に帰依(きえ)することを誓う際に、ご門主(もんしゅ、本願寺派の法主)から授与されるものです 。帰敬式では、頭にカミソリを当てる「剃刀(ていとう)の儀」が象徴的に行われます 。法名は本来、亡くなってからではなく、生きている間に仏弟子としての自覚をもっていただくものです 。これは、浄土真宗が死後のためだけでなく、現在を生きる私たち自身の依りどころとなる教えであることを示しています。生前に帰敬式を受けられなかった場合は、ご葬儀の際に、所属寺院の住職を通じて授与されることもあります 。
法名と戒名の違い
浄土真宗における「法名」と、他の仏教宗派で一般的に用いられる「戒名」との違いは、しばしば尋ねられる点です。以下の表に主な違いをまとめます。
特徴 | 浄土真宗(本願寺派) | 一般的な他宗派(例) |
---|---|---|
用語 | 法名(ほうみょう) | 戒名(かいみょう) |
意味 | 仏弟子としての名前、仏法を依り処とする生活の証 | 戒律を受けた証、または死後の名前 |
授与の根拠 | 帰敬式(おかみそり)による三宝帰依の表明 | 受戒(じゅかい)、寺院への貢献度、故人の社会的地位など |
授与の時期 | 本来は生前 (死後も可能 ) | 多くは死後(生前授与もある) |
授与者 | ご門主(もんしゅ) (所属寺院住職が取次) | 所属寺院の住職など |
構成・称号 | 「釋(釈)〇〇」のみ | 院号、道号、戒名、位号(居士、大姉、信士、信女など)が付く場合あり |
反映される思想 | 阿弥陀仏の前での平等、信心による救い | 修行や戒律の重視、階層や功徳に応じた区別が見られる場合あり |
この比較から、浄土真宗の法名が、戒律や修行の達成度ではなく、阿弥陀仏への帰依という一点に重きを置いていることがわかります。
お布施・金封について
A: お布施は、法要などを執り行っていただいたことへの対価や料金ではなく、阿弥陀様への感謝の気持ち、そしてお寺を護持し、み教えを伝えていくための懇志としてお供えするものです 。そのため、本来「定価」や「料金」といったものはありません 。しかし、実際問題として目安を知りたいという声があることも事実です 。お寺や地域によって慣習がある場合もありますので、一概には言えませんが、大切なのは金額の多寡よりも感謝の気持ちです。どうしても目安が知りたい場合は、お寺に直接尋ねください。あくまで「お気持ち」であることが基本です。
A: 法要などの会場に到着した際に、受付や他の参列者がお供えしている場所があれば、そこにお供えするのが一般的です 。住職がいらっしゃれば、直接お渡ししても構いません 。
Q: お寺や僧侶にお渡しするお布施の封筒には、何と書けばよいですか?
A: 表書きは「御布施」と書くのが最も一般的で適切です 。これは阿弥陀様(お寺のご本尊)へのお供えという意味合いを持ちます 。「御礼」「御経料」「回向料」といった書き方は、お布施本来の意味から外れるため、ふさわしくないとされています 。
さらに学ぶために
A: 各寺院や本願寺派の出版部門(本願寺出版社など)から、様々な書籍が出版されています 。本願寺の公式サイトで紹介されている『新・仏事のイロハ』 や、前田壽雄氏の『仏事Q&A 浄土真宗本願寺派』 など、Q&A形式で分かりやすく解説したものもあります。また、入門者向けの読み物も提供されています 。まずは、所属のお寺に相談してみるのが良いでしょう。
A: 法話を聞くこと(聴聞)は、浄土真宗の信仰生活の中心です 。法話は、僧侶などが聖典(お経や宗祖の言葉)に基づいて、阿弥陀仏の教えを分かりやすく説き明かし、聴く人が阿弥陀仏の本願(願い)への理解と感謝を深めることを目的としています 。様々な譬えや自身の体験談などを交えながら語られることも多く、教えを身近に感じ、自身の生き方を見つめ直す機会となります 。