新しいお寺のかたち

専明寺(下松市)浄土真宗

間違いないもの

甥っ子・姪っ子が遊びに来ています。みんな朝から晩までワイワイ遊んでいます。
どこにそんな力があるのか不思議なくらい、大きな声をだし、駆けまわり、そして沢山食べるのです。
自分もそんな時があったのだろうか、昔のことはもう忘れてしまいました。
いつも元気に遊んでくれているのですが、時に風邪をひく時があります。
一生懸命、母親である姉が、子どもに薬を飲ませようと、必死です。
子どもは、その気持に負けて少しでも薬を飲んだなら、親はとても喜んでいる姿をみて思いました。
自分も風邪を引くこともあります。病院に行って、薬局で薬をもらうのですが、
その時に薬剤師さんは一つ一つ丁寧に薬の説明をしてくれるのですが、
正直さっぱり分かりません。けれども、一生懸命に説明してくれるので、
「はぁー、はい。はい。・・・はい。わかりました」と、あまり理解していませんでしたが、
薬だけはしっかりと頂いて帰るのでした。
みなさんも薬を貰われる時に、いつもの薬であればすぐに貰えるでしょうが、
新しい薬を処方された時には、説明を受けるのではないでしょうか。
その時に、しっかり理解しないと、薬の成分、効き目、なぜ効くのか理解しなければ、
薬はもらって帰らないっていう方はいますか? おそらくいないでしょう。
分かる人は、薬剤師さんで、分かっている人が処方されたから、分からなくても、
安心して薬を貰われるのでしょう。
私も風邪で、薬をもらえば、それを頂くだけです。安心して飲みます。
これは、信頼しようが、しまいが。理解しようが、しまいが、薬は効果がききます。
私が分からなくても、頂く上で効果があるのです。
私が処方した薬を飲めますか?飲めないでしょう。
病気でしんどく、不安であっても、
病院で薬を貰えると、必ず治ると安心します。(※風邪の場合です)
その安心は、私が無理に信じているのではなく、お医者さん・薬剤師さんからいただいたものなのです。
(※病気の喩えですので、譬喩は一部しか阿弥陀様のご本意を表せません)
自分の思い通りにならない苦しみ、不安を抱える人間境涯に生きる私を、阿弥陀さまは、
いつでもご覧になり、その苦しみ・不安をわがごととして胸をこがし、こころくだかれ、
何十年どころか、ずっと昔、五劫の間思い悩まれ、さらに長い時間のご修行により、
まさに私に薬を仕上げて、我が胸に届けてくださいました。
それが、南無阿弥陀仏のお念仏(名号)です。
苦しみ・悲しみは未だ残るといえども、間違いない薬をいただいた、
仏さまから安心を頂いた証拠が、ともに称えさせていただくお念仏です。