みんなで守る永代供養納骨堂

専明寺(下松市)浄土真宗

正信偈

解説と現代語訳

「正信念仏偈」は、親鸞聖人(1173年〜1263年)が90年の生涯をかけて作られた著書『教行信証』(全六巻本)の第2巻「行巻」の末尾に掲載されている。一般には「正信偈(しょうしんげ)」の名で親しまれている。真宗の要義大綱を七言60行120句の偈文にまとめたものである。
親鸞聖人撰述の『三帖和讃』とともに、本願寺第8世蓮如(1415年〜1499年)によって、僧俗の間で朝暮の勤行としてお勤めするよう制定され、現在も行われている。
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201502063.zip
そもそも正信偈とは何でしょうか。

帰敬序

正信偈御文・書き下し文 しんじんのうた 現代語訳
1 帰命無量寿如来
きみょうむりょうじゅにょらい
ひかりといのちきわみなき 限りない命の如来に帰命し
無量寿如来に帰命し
2 南無不可思議光
なもふかしぎこう
阿弥陀ほとけを仰がなん 思いはかることのできない光の如来に帰依したてまつる
不可思議光に南無したてまつる

依経段

3 法蔵菩薩因位時
ほうぞうぼさついんにじ
法蔵比丘のいにしえに 法蔵菩薩の因位のときに
法蔵菩薩の因位時
4 在世自在王仏所
ざいせじざいおうぶつしょ)
世自在王のみもとにて 世自在王仏のみもとで
世自在王仏の所にましまして
5 覩見諸仏浄土因
とけんしょぶつじょうどいん
諸仏浄土の因たずね 仏がたの浄土の成り立ちや
諸仏の浄土の因
6 国土人天之善悪
こくどにんでんしぜんまく
人天のよしあしみそなわし その国土や人間や神々の善し悪しをご覧になって
国土人天の善悪を覩見して
7 建立無上殊勝願
こんりゅうむじょうしゅしょうがん
すぐれた願を建てたまい この上なくすぐれた願をおたてになり
無上殊勝の願を建立し
8 超発希有大弘誓
ちょうほつけうだいぐぜい
まれなる誓いおこします 世にもまれな大いなる誓いをおこされた
希有の大弘誓を超発せり
9 五劫思惟之摂受
ごこうしゆいししょうじゅ
ながき思惟の時へてぞ 五劫もの長い間思惟してこの誓願を選び取り
五劫これを思惟して摂受す
10 重誓名声聞十方
じゅうせいみょうしょうもんじっぽう
この願選び取りませり 名号をすべての世界に聞えさせようと重ねて誓われたのである
重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えんと
11 普放無量無辺光
ふほうむりょうむへんこう
かさねてさらに誓うらく 本願を成就された仏は、無量光・無辺光・無礙光・無対光・炎王光・清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・超日月光とたたえられる光明を放って
あまねく無量・無辺光
12 無碍無対光炎王
むげむたいこうえんのう
わが名よひろく聞えかし
無礙・無対・光炎王
13 清浄歓喜智慧光
しょうじょうかんぎちえこう
十二のひかり放ちては
清浄・歓喜・智慧光
14 不断難思無称光
ふだんなんじむしょうこう
あまたの国を照らします
不断・難思・無称光
15 超日月光照塵刹
ちょうにちがっこうしょうじんせつ
生きとしいくるものすべて
超日月光を放ちて塵刹を照らす
16 一切群生蒙光照
いっさいぐんせいもうみつてる
このみひかりのうちにあり 広くすべての国々を照らし、すべての衆生はその光明に照らされる
一切の群生、光照を蒙る
17 本願名号正定業
ほんがんみょうごうしょうじょうごう
本願成就のそのみ名を 本願成就の名号は衆生が間違いなく往生するための行であり
本願の名号は正定の業なり
18 至心信楽願為因
ししんしんぎょうがんにいん
信ずるこころひとつにて 至心信楽の願[(第十八願)]に誓われている信を往生の正因とする
至心信楽の願(第十八願)を因とす
19 成等覚証大涅槃
じょうとうがくしょうだいねはん
ほとけのさとりひらくこと 正定聚の位につき、浄土に往生してさとりを開くことができるのは
等覚を成り大涅槃を証することは
20 必至滅度願成就
ひっしめつどがんじょうじゅ
願い成りたるしるしなり 必至滅度の願[(第十一願)]が成就されたことによる
必至滅度の願(第十一願)成就なり
21 如来所以興出世
にょらいしょいこうしゅっせ
教主世尊は弥陀仏の 如来が世に出られるのは、
如来、世に興出したまうゆえは
22 唯説弥陀本願海
ゆいせつみだほんがんかい
誓い説かんと生れたもう ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためである
ただ弥陀の本願海を説かんとなり
23 五濁悪時群生海
ごじょくあくじぐんじょうかい
にごりの世にしまどうもの 五濁の世の人々は
五濁悪時の群生海
24 応信如来如実言
おうしんにょらいにょじつごん
おしえのまこと信ずべし 釈尊のまことの教えを信じるがよい
如来如実の言を信ずべし
25 能発一念喜愛心
のうほついちねんきあいしん)
信心ひとたび おこりなば 信をおこして、阿弥陀仏の救いを喜ぶ人は
よく一念喜愛の心を発すれば
26 不断煩悩得涅槃
ふだんぼんのうとくねはん
煩悩を断たで 涅槃あり 自らの煩悩を断ちきらないまま、浄土でさとりを得ることができる
煩悩を断ぜずして涅槃をうるなり ナヤミ       スクイ
27 凡聖逆謗斉回入
ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう
水とうしおと なるがごと 凡夫も聖者も、五逆のものも謗法のものも、みな本願海に入れば
凡聖逆謗ひとしく回入すれば
28 如衆水入海一味
にょしゅしいにゅうかいいちみ
凡夫とひじり 一味なり どの川の水も海に入ると一つの味になるように、等しく救われる
衆水、海にいりて一味なるがごとし
29 摂取心光常照護
せっしゅしんこうじょうしょうご
摂取のひかり あきらけく 阿弥陀仏の光明はいつも衆生を摂め取ってお護りくださる
摂取の心光つねに照護したもう スクイ
30 已能雖破無明闇
いのうすいはむみょうあん
無明の闇 晴れ去るも すでに無明の闇は晴れても
すでによく無明の闇を破すといえども ウタガイ
31 貪愛瞋憎之雲霧
とんないしんぞうしうんむ
まどいの雲は 消えやらで 貪りや怒りの雲や霧は、
貪愛瞋憎の雲霧
32 常覆真実信心天
じょうふしんじつしんじんてん
つねに信心の そら覆う いつもまことの信心の空をおおっている
つねに真実信心の天におおえり     マコト
33 譬如日光覆雲霧
ひにょにっこうふうんむ
よし日の雲に 隠るとも しかし、たとえば日光が雲や霧にさえぎられても、
たとえば日光の雲霧におおわれども
34 雲霧之下明無闇
うんむしげみょうむあん
下の闇なき ごとくなり その下は明るく闇がないと同じである
雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし
35 獲信見敬大慶喜
ぎゃくしんけんきょうだいきょうき
信心よろこび うやまえば 信を得て大いに喜び敬う人は
信をえて見て敬い大きに慶喜すれば
36 即横超截五悪趣
そくおうちょうぜつごあくしゅ
迷いの道は たちきられ ただちに本願力によって迷いの世界のきずなが断ち切られる
すなわち横に五悪趣を超載す
37 一切善悪凡夫人
いっさいぜんまくぼんぶにん
ほとけの誓い 信ずれば 善人も悪人も、どのような凡夫であっても
一切善悪の凡夫人
38 聞信如来弘誓願
もんしんにょらいぐぜいがん
いとおろかなる ものとても 阿弥陀仏の本願を信じれば
如来の弘誓願を聞信すれば
39 仏言広大勝解者
ぶつごんこうだいしょうげしゃ
すぐれし人を ほめたまい 仏はこの人をすぐれた智慧を得たものであるとたたえ
仏、広大勝解のひととのたまえり
40 是人名分陀利華
ぜにんみょうふんだりけ
白蓮華とぞ たたえます 汚れのない白い蓮の花のような人とおほめになる
このひとを分陀利華と名づく
41 弥陀仏本願念仏
みだぶつほんがんねんぶつ
南無阿弥陀仏のみおしえは 阿弥陀仏の本願念仏の法は、
弥陀仏の本願念仏は
42 邪見憍慢悪衆生
じゃけんきょうまんなくしゅじょう
おごり・たかぶり・よこしまの よこしまな考えを持ち、おごりたかぶる自力のものが
邪見・憍慢・悪衆生
43 信楽受持甚以難
しんぎょうじゅじじんになん
はかろう身にて 信ぜんに 信じることは実に難しい
信楽受持すること甚だもって難し
44 難中之難無過斯
なんちゅうしなんむかし
難きがなかにも なおかたし 難の中の難であり、これ以上に難しいことはない
難のなかの難これにすぎたるはなし カタ

依釈段

45 印度西天之論家
いんどさいてんしろんげ
七高僧は ねんごろに インドの菩薩方や
印度西天の論家
46 中夏日域之高僧
ちゅうかじちいきしこうそう
釈迦のみこころ あらわして 中国と日本の高僧方が
中夏(中国)・日域(日本)の高僧
47 顕大聖興世正意
けんだいしょうこうせしょうい
弥陀の誓いを 正機(めあて)をば 釈尊が世に出られた本意をあらわし
大聖(釈尊)興世の正意を顕し
48 明如来本誓応機
みょうにょらいほんぜいおうき
われらにありと あかします 阿弥陀仏の本願は、私たちのために建てられたことを明らかにされた
如来の本誓、機に応ぜることを明かす
49 釈迦如来楞伽山
しゃかにょらいりょうがせん
楞迦の山に 釈迦説けり 釈尊は楞伽山で
釈迦如来、楞伽山にして
50 為衆告命南天竺
いしゅうごうみょうなんてんじく
南天竺に 比丘ありて 大衆に、南インドに
衆のために告命したまはく
51 龍樹大士出於世
りゅうじゅだいじしゅっとせ
よこしまくじき 真実(まこと)のべ 龍樹菩薩が現れて
南天竺(南印度)に龍樹大士世に出でて
52 悉能摧破有無見
しつのうざいはうむけん
安楽国に うまれんと 有無の邪見をすべて打ち破り
ことごとくよく有無の見を摧破せん
53 宣説大乗無上法
せんぜつだいじょうむじょうほう
みことのまゝに あらわれし 尊い大乗の法を説き
大乗無上の法を宣説し
54 証歓喜地生安楽
しょうかんぎじしょうあんらく
龍樹大士は おしえます 歓喜地の位に至って、阿弥陀仏の浄土に往生するだろうと仰せになった
歓喜地を証して安楽に生ぜんと
55 顕示難行陸路苦
けんじなんぎょうろくろく)
陸路(くがじ)のあゆみ 難けれど 龍樹菩薩は、難行道は苦しい陸路のようであると示し、
難行の陸路、苦しきことを顕示して
56 信楽易行水道楽
しんぎょういぎょうしいどうらく
船路の旅の 易きかな 易行道は楽しい船旅のようであるとお勧めになる
易行の水道、楽しきことを信楽せしむ
57 憶念弥陀仏本願
おくねんみだぶつほんがん
弥陀の誓いに 帰しぬれば 阿弥陀仏の本願を信じれば
弥陀仏の本願を憶念すれば
58 自然即時入必定
じねんそくじにゅうひつじょう
不退のくらい 自然なり おのずからただちに正定聚に入る
自然に即の時必定に入る
59 唯能常称如来号
ゆいのうじょうしょうょらいごう
ただよくつねに み名となえ ただ常に阿弥陀仏の名号を称え
ただよくつねに如来の号を称して
60 応報大悲弘誓恩
おうほうだいひぐぜいおん
ふかきめぐみに こたえかし 本願の大いなる慈悲の恩に報いるがよいと述べられた
大悲弘誓の恩を報ずべしといへり
61 天親菩薩論註解
てんじんぼさつぞうろんせつ
天親菩薩 論を説き 天親菩薩は、『浄土論』を著して
天親菩薩、『論』(浄土論)を造りて説かく
62 帰命無碍光如来
きみょうむげこうにょらい
ほとけのひかり 仰ぎつゝ 「無碍光如来に帰命したてまるつる」と述べられた
無礙光如来に帰命したてまつる
63 依修多羅顕真実
えしゅたらけんしんじつ
おしえのまこと あらわして 浄土の経典にもとづいて阿弥陀仏のまことをあらわされ
修多羅によりて真実を顕して
64 光闡横超大誓願
こうせんおうちょうだいせいがん
弥陀の誓いを ひらきます 横超のすぐれた誓願を広くお示しになり
横超の大誓願を光闡す
65 広由本願力回向
こうゆほんがんりきえこう
本願力の めぐみゆえ 本願力の廻向によって
広く本願力の回向によりて
66 為度群生彰一心
いどぐんじょうしょういっしん
ただ一心の 救いかな すべてのものを救うために、一心すなわち他力の信心の徳を明らかにされた
群生を度せんがために一心を彰す
67 帰入功徳大宝海
きにゅうくどくだいほうかい
ほとけのみ名に 帰してこそ 本願の名号に帰し、大いなる功徳の海に入れば
功徳大宝海に帰入すれば
68 必獲入大会衆数
ひつぎゃくにゅうだいえしゅしゅ
浄土の聖衆(ひと)の かずに入れ 浄土に往生する身とさだまる
かならず大会衆の数に入ることを獲
69 得至蓮華蔵世界
とくしれんげぞうせかい
蓮華(はちす)の国に うまれては 阿弥陀仏の浄土に往生すれば
蓮華蔵世界に至ることを得れば
70 即証真如法性身
そくしょうしんにょほっしょうじん
真如のさとり ひらきてぞ ただちに真如をさとった身となり
すなはち真如法性の身を証せしむと
71 遊煩悩林現神通
ゆうぼんのうりんげんじんずう
生死の薗に かえりきて さらに迷いの世界に還り、神通力をあらわして
煩悩の林に遊んで神通を現じ
72 入生死園示応化
にゅうしょうじおんじおうげ
まよえる人を 救うなり 自在に衆生を救うことができると述べられた
生死の園に入りて応化を示すといへり
73 本師曇鸞梁天子
ほんしどんらんりょうてんし
曇鸞大師 徳たかく 曇鸞大師は梁の武帝が
本師曇鸞は、梁の天子
74 常向鸞処菩薩礼
じょうこうらんしょぼさつらい
梁の天子に あがめらる 常に菩薩と仰がれた方である
つねに鸞の処に向かひて菩薩と礼したて
75 三蔵流支授浄教
さんぞうるしじゅじょうきょう
三蔵流支に みちびかれ 菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので
三蔵流支、浄教を授けしかば
76 焚焼仙経帰楽邦
ぼんじょうせんぎょうきらくほう
仙経すてて 弥陀に帰す 仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された
仙経を焚焼して楽邦に帰したまひき
77 天親菩薩論註解
てんじんぼさつろんちゅうげ
天親の論 釈しては 天親菩薩の『浄土論』を注釈して
天親菩薩の『論』(浄土論)を註解して
78 報土因果顕誓願
ほうどいんがけんせいがん
浄土にうまるる 因も果も 浄土に往生する因も果も阿弥陀仏の誓願によることを明らかにし
報土の因果誓願に顕す
79 往還回向由他力
おうげんえこうゆたりき
往くも還るも 他力ぞと 往相も還相も他力の廻向であると示された
往還の回向は他力による
80 正定之因唯信心
しょうじょうしいんゆいしんじん
ただ信心を すすめけり 浄土へ往生するための因は、ただ信心一つである
正定の因はただ信心なり
81 惑染凡夫信心発
わくぜんぼんぶしんじんぽう
まどえる身にも 信あらば 煩悩具足の凡夫でもこの信心を得たなら
惑染の凡夫、信心発すれば
82 証知生死即涅槃
しょうちしょうじそくねはん
生死(まよい)のままに 涅槃(すくい)あり 仏のさとりを開くことができる
生死すなはち涅槃なりと証知せしむ
83 必至無量光明土
ひっしむりょうこうみょうど
ひかりの国に いたりては 計り知れない光明の浄土に至ると
かならず無量光明土に至れば
84 諸有衆生皆普化
しょうしゅじょうかいふけ
あまたの人を 救うべし あらゆる迷いの衆生を導くことができると述べられた
諸有の衆生みなあまねく化すといへり
85 道綽決聖道難証
どうしゃくけつしょうどうなんしょう
道綽禅師 あきらかに 道綽禅師は、聖道門の教えによってさとるのは難しく
道綽、聖道の証しがたきことを決して
86 唯明浄土可通入
ゆいみょうじょうどかつうにゅう
聖道浄土の 門(かど)わかち 浄土門の教えによってのみさとりに至ることができることを明らかにされた
ただ浄土の通入すべきことを明かす
87 万善自力貶勤修
まんぜんじりきへんごんしゅ
自力の善を おとしめて 自力の行はいくら修めても劣っているとして
万善の自力、勤修を貶す
88 円満徳号勧専称
えんまんとくごうかんせんしょう
他力の行を すすめつゝ ひとすじにあらゆる功徳をそなえた名号を称えることをお勧めになる
円満の徳号、専称を勧む
89 三不三信誨慇懃
さんぷさんしんけんおんごん
信と不信を ねんごろに 三信と三不信の教えを懇切に示し
三不三信の誨慇懃にして
90 像末法滅同悲引
ぞうまつほうめつどうひいん
末の世かけて おしえます 正法・像法・末法・法滅、何時の時代においても、本願念仏の法は変わらず人々を救い続けることを明かされる
像末・法滅同じく悲引す
91 一生造悪値弘誓
いっしょうぞうあくちぐぜい
一生悪を 造るとも たとえ生涯悪をつくり続けても、阿弥陀仏の本願を信じれば
一生悪を造れども、弘誓に値ひぬれば
92 至安養界証妙果
しあんにょうがいしょうみょうか
弘誓に値(あ)いて 救わるる 浄土に往生しこの上ないさとりを開くと述べられた
安養界に至りて妙果を証せしむといえり
93 善導独明仏正意
ぜんどうどくみょうぶっしょうい
善導大師 ただひとり 善導大師はただ独りこれまでの誤った説を正して仏の教えの真意を明らかにされた
善導独り仏の正意をあきらかにせり
94 矜哀定散与逆悪
ごうあいじょうさんよぎゃくあく
釈迦の正意を あかしてぞ 善悪のすべての人を哀れんで、
定散と逆悪とを矜哀して
95 光明名号顕因縁
こうみょうみょうごうけんいんねん
自力の凡夫 あわれみて 光明と名号が縁となり因となってお救いくださると示された
光明・名号因縁を顕す
96 開入本願大智海
かいにゅほんがんだいちかい
ひかりとみ名の 因縁(いわれ)説く 本願の大いなる智慧の海に入れば
本願の大智海に開入すれば
97 行者正受金剛心
ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん
誓いの海に 入りぬれば 行者は他力の信を廻向され
行者まさしく金剛心を受けしめ
98 慶喜一念相応後
きょうきいちねんそうおうご
信をよろこぶ 身となりて 如来の本願にかなうことができたそのときに
慶喜の一念相応して後
99 与韋提等獲三忍
よいだいとうぎゃくさんにん
韋提のごとく 救われる 韋提希と同じく喜忍・悟忍・信忍の三忍を得て、
韋提と等しく三忍を獲
100 即証法性之常楽
そくしょうほうしょうしじょうらく
やがてさとりの 花ひらく 浄土に往生してただちにさとりを開くと述べられた
すなはち法性の常楽を証せしむといへり
101 源信広開一代教
げんしんこうかいいちだいきょう
源信和尚 弥陀に帰し 源信和尚は、釈尊の説かれた教えを広く学ばれて
源信広く一代の教を開きて
102 偏帰安養勧一切
へんきあんにょうかんいっさい
おしえかずある そのなかに ひとえに浄土を願い、また世のすべての人々にもお勧めになった
ひとへに安養に帰して一切を勧む
103 専雑執心判浅深
せんぞうしゅうしんはんせんじん
真実報土(まことのくに)に うまるるは さまざまな行をまじえて修める自力の信心は浅く化土にしか往生できないが、
専雑の執心、浅深を判じて
104 報化二土正弁立
ほうけにどしょうべんりゅう
深き信にぞ よると説く 念仏一つをもっぱら修める他力の信心は深く、報土に往生できると明らかに示された
報化二土まさしく弁立せり
105 極重悪人唯称仏
ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ
罪の人々 み名をよべ きわめて罪の重い悪人はただにち念仏すべきである
極重の悪人はただ仏を称すべし
106 我亦在彼摂取中
がやくざいひっしゅちゅう
われもひかりの うちにあり わたしもまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども
われまたかの摂取のなかにあれども
107 煩悩障眼雖不見
ぼんのうしょうげんすいふけん
まどいの眼には 見えねども 煩悩が私の目をさえぎって、見たてまつることができない。しかしながら
煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども
108 大悲無倦常照我
だいひむけんじょうしょうが
ほとけはつねに 照らします 阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのような私を見捨てることなく常に照らしていてくださると述べられた
大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまうといえり
109 本師源空明仏教
ほんしげんくうみょうぶっきょう
源空上人 智慧すぐれ 源空聖人は深く仏の教えをきわめられ
本師源空は、仏教にあきらかにして
110 憐愍善悪凡夫人
れんみんぜんまくぼんぶにん
おろかなるもの あわれみて 善人も悪人もすべての凡夫を哀れんで
善悪の凡夫人を憐愍せしむ
111 真宗教証興片州
しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう
浄土真宗 おこしては この国に往生浄土の真実の教えを開いて明らかにされ
真宗の教証、片州に興す
112 選択本願弘悪世
せんじゃくほんがんぐあくせ
本願念仏 ひろめます 選択本願の法を五濁の世にお広めになった
選択本願、悪世に弘む
113 還来生死輪転家
げんらいしょうじりんでんげ
まよいの家に かえらんは 迷いの世界に輪廻することは
生死輪転の家に還来ることは
114 決以疑情為所止
けっちぎじょういしょし
疑(うたご)う罪の あればなり 本願を疑いはからうからである
決するに疑情をもつて所止とす
115 速入寂静無為楽
そくにゅうじゃくじょうむいらく
さとりの国に うまるるは 速やかにさとりの世界に入るには
すみやかに寂静無為の楽に入ることは
116 必以信心為能入
ひっちしんじんいのうにゅう
ただ信心に きわまりぬ ただ本願を信じる他にはないと述べられた
かならず信心をもつて能入とすといえり
117 弘経大士宗師等
ぐきょうだいじしゅしとう
七高僧は あらわれみて 浄土の教えを広めてくださった祖師方は
弘経の大士・宗師等
118 拯済無辺極濁悪
じょうさいむへんごくじょくあく
われらをおしえ すくいます 数限りない五濁の世の衆生をみなお導きになる
無辺の極濁悪を拯済したまふ
119 道俗時衆共同心
どうぞくじしゅうぐどうしん
世のもろびとよ みなともに 出家のものも在家のものも今の世の人々はみなともに
道俗時衆ともに同心に
120 唯可信斯高僧説
ゆいかしんしこうそうせつ
このみさとしを 信ずべし ただこの高僧方の教えを仰いで信じるがよい
ただこの高僧の説を信ずべしと
おすすめ
法話

私たちが日頃お経をとなえる時に読んでいるのは「正信偈」というお経です。 「帰命無碍光如来 南無不可思議光」(きみょうむりょうじゅにょらい なもふかしぎこう) とお唱えします。これはどういう意味でしょう ...

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覩見諸仏浄土因  国土人天之善悪

2019/1/19

意訳「仏がたの浄土の成り立ちや、その国土や人間や神々の善し悪しをご覧になって」 書き下し「諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して」 阿弥陀仏が法蔵菩薩であった頃の話になります。 法蔵菩薩が世自在王仏 ...

五濁悪時群生海 応信如来如実言

2019/1/19

(書き下し)五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし (現代語訳)五濁の世の人々は、釈尊のまことの教えを信じるがよい 五濁について ・劫濁とは、対立や戦争の絶え間ない時代の濁り ・見濁とは、仏の教法を ...

如来所以興出世 唯説弥陀本願海

2019/1/19

(書き下し)如来、世に興出したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり (現代語訳)如来が世に出られるのは、ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためである この御文から、お釈迦さまがこの世にお出まし ...

能発一念喜愛心  不断煩悩得涅槃

2019/1/19

(書き下し)よく一念喜愛の心を発すれば 煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり (現代語訳)信をおこして、阿弥陀仏の救いをよろこぶ人は、自ら煩悩を 断ち切らないまま、浄土でさとりを得ることができる 以下6句で ...

正信偈

2021/4/20

解説と現代語訳 「正信念仏偈」は、親鸞聖人(1173年〜1263年)が90年の生涯をかけて作られた著書『教行信証』(全六巻本)の第2巻「行巻」の末尾に掲載されている。一般には「正信偈(しょうしんげ)」 ...

法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所

2019/1/19

法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 (意訳)昔々、ある王様が世自在王仏の話を聞いて、深く感動し出家されて、 法蔵と名乗られ、世自在王仏の所で修行に明け暮れていた時 (書き下し)法蔵菩薩の因位の時、世自在王 ...

摂取心光常照護 已能雖破無明闇

2019/2/1

(意訳)阿弥陀如来の光明はいつも衆生を摂め取ってお護りくださる (書き下し)摂取の心光、つねに照護したもう。(すでによく無明の闇を破すといえども) 「心光常護の益」という言葉が、親鸞聖人の著書『教行信 ...