「痛いですね」と寄り添う心

教えではなく、救いを告げる仏さま

阿弥陀さまという仏さまは、少し他の仏さまとは違う点があります。それは、私たちに対して、何か難しい教えを告げて、その教えを守るようにと諭されたり、あるいは、私たちを一人前に育て上げようと、手取り足取り指導されたりする、というお方ではない、ということです。

なぜなのでしょうか。それは、阿弥陀さまは、この私のことを誰よりも深くご存じだからです。たとえどんなに素晴らしい教えを告げられたとしても、私が、自分自身の煩悩(ぼんのう)という根深いとらわれから一歩も離れることはできずに、結局は自分の都合ばかりを考えて、煩悩の火を燃やし続けることしかできない存在であることを、よくよくご存じであったからです。教え育てようとしても、その教えの通りに生きることができない、どうしようもない私の状況を、すべてお見通しであったからです。

ですから、阿弥陀さまが私たちにしてくださることは、ただ一つ。それは、私たちを必ず救うという、その「救い」を一方的に告げてくださることでした。いつでも、どこでも、どのような状態の私であっても、「この阿弥陀が、あなたを必ず仏として浄土に生まれさせる」と、その確かさを聞かせてくださる。それが阿弥陀さまのお慈悲なのです。

「痛いですね」という言葉(あるご門徒さんのお話)

以前、お寺によくお参りになられる、ある女性のご門徒さんから、大変心に残るお話を聞かせていただいたことがありました。その方は、重い病気を患われて、大きな手術を受けられたそうです。その入院中に出逢った、一人の看護師さんのことを、私に話してくださいました。

(その方が仰るには) 「大手術の後の傷口を、毎日、看護師さんが消毒してくださいました。たくさんの看護師さんが交代で処置にあたってくださったのですが、その中のお一人だけ、他の方とは違う方がいらっしゃったのです。というのは、他の看護師さんは消毒の時に『痛いですか?』『我慢してくださいね』などと声をかけてくださるのですが、その方だけは、一度も『痛いですか』と尋ねたことがありませんでした。いつも消毒をしながら、ただ『痛いですね』『痛いですね』と、静かに声をかけてくださるだけなのです。

不思議なことに、その看護師さんの『痛いですね』という言葉を聞くと、私はいつも、思わず涙が止まらなくなってしまうのでした。

入院中、日頃から親しくしている親戚やお友達、そして家族からも、『大丈夫だから』『きっと良くなるから』『頑張って』と、たくさんの励ましの言葉をいただいていました。みんなが私のことを親身になって心配してくれている。そのことは、本当にヒシヒシと感じていましたし、その心がとてもうれしかったのです。そして、その励ましが、私の大きな力になっていたことも事実です。

でも、私の本音を言えば、本当はずっと怖かったんです。手術も、その後の痛みも、これからどうなるか分からない不安も、全部が辛かったんです。できることなら、逃げ出したかったんです。誰かに、その弱音、その本音を聞いてほしいと、ずっと思っていました。でも、誰にも言えませんでした。なぜなら、みんなが私のことを、一生懸命に応援してくれていたからです。『そんな弱気なことを言ったら、みんなをがっかりさせてしまう』『心配をかけさせてしまう』。そう思ったから、いつの間にか、自分の本音を心の奥底に押し込めて、言えなくなってしまっていました。

その、心の中に隠し、張りつめていたものを、まるでそっと寄り添って、優しく解きほぐしてくれるような言葉が、あの看護師さんの『痛いですね』という一言でした。その言葉に出逢った時に、私は、思わず、ずっと隠していた心の涙を、もう隠すことができませんでした。」 というお話でした。

私の痛みをすでに知って

このお話は、阿弥陀さまのお慈悲のあり方を、私たちに深く教えてくださっているように思います。 阿弥陀さまは、この私の苦しみ、悲しみを、私が口に出して訴えるよりも先に、すべて「すでに知っているよ」と、いつでも、どこでも、ご一緒してくださる仏さまです。

「大丈夫だから頑張れ」と励ますのではなく、「辛いね、苦しいね、悲しいね。その痛み、ちゃんと分かっているよ」と、ただ静かに寄り添い、私の苦悩を、そのままご自身の苦悩として引き受けてくださる。それが阿弥陀さまのお慈悲なのです。

根こそぎ救うとはたらく力

そして、阿弥陀さまは、ただご一緒してくださるだけではありません。その上で、あらゆる仏さまの功徳(くどく)をすべてこの私にふり向けて、「あなたのその苦悩を、根こそぎ解決し、必ず仏として救いとる」と、願い、はたらき続けてくださる。それが、阿弥陀という仏さまのお約束です。

確かな救いをよろこぶ日々

お念仏の生活とは、そのような仏さまの確かな救いを、ただただ「有り難いことだなぁ」と、よろこばせていただく日々であります。

人間関係が希薄になり、殺伐として、いのちと、いのちの温かい触れ合いが少なくなってきているとも言われる昨今です。私だけでなく、孤独感に襲われがちなすべての方々が、この阿弥陀さまの温かい眼差しと、そして、この「いのち」そのものの有り難さに、どうか触れてくださればと、切に願うばかりです。

-法話