ある少年の願い
以前、大きな災害に関するテレビのニュースの中で、深く考えさせられる場面がありました。 そのニュースでは、災害によって幼くしてお母さまとお姉さま(あるいは妹さま)を亡くされた、当時2歳になるという一人の男の子が紹介されていました。災害発生から時が経ち、少しずつ日常を取り戻そうとしている中でのインタビューでした。
その中で、その男の子は、インタビュアーからの「大きくなったら何になりたいですか?」という問いに対して、笑顔でこのように語っていました。
「僕は大きくなったら宇宙飛行士になりたいです。そしてロケットに乗って、天国にいるお母さんと、お姉ちゃんに会いに行きたいです。」
私はテレビの前で、この幼い彼の言葉を聞いて、亡くなったお母さんとお姉ちゃんのことを強く思うその気持ちに胸を打たれると同時に、もしかしたら彼の周りには、お念仏のご縁、つまり亡くなった方との本当の繋がりを教えてくれる大人がいないのかもしれないな、と少しばかり悲しい気持ちにもなりました。
断絶された世界?
彼の心の中では、おそらく、この世と「天国」とは、完全に断絶された世界なのでしょう。だから、大きくなって、特別な乗り物であるロケットに乗って行かない限り、大好きなお母さんやお姉ちゃんにはもう二度と会えない、そう感じているのです。
しかし、もし彼がその夢を叶えて、将来本当に宇宙飛行士になったとしても、ロケットに乗って、物理的に「天国」のお母さんやお姉ちゃんに会いに行くことはできません。その現実に、彼もいつか気づく日がくるはずです。
いつも ご一緒の世界
では、その男の子は、お母さんやお姉ちゃんに、もう一生会うことができないのでしょうか?
浄土真宗の教えでは、「決してそんなことはありません」と、はっきりと示されています。彼が、今この瞬間にも、お母さんやお姉ちゃんと、確かに「会う」ことができる世界。それが、南無阿弥陀仏と申す、お念仏の世界なのです。
仏教では、人間は死んだらそれで終わり、無になってしまうとは考えません。特に浄土真宗では、阿弥陀さまという仏さまのお救いを信じ、お念仏申す人生を送った方は、この世の命尽きた時、阿弥陀さまのお浄土(じょうど)という清らかな世界に往き生まれ、仏さまとなられる、と教えられます。
ですから、その男の子のお母さんやお姉ちゃんもまた、すでにお浄土に往生(おうじょう)され、仏さまとなって、この地上に残された彼のことを、一時も忘れることなく、いつも、すぐそばで見守り、寄り添い、共にいてくださるのです。
お念仏という確かな証(あかし)
南無阿弥陀徒、南無阿弥陀仏…。 この、私たちの口からこぼれ出る一声一声のお念仏が、亡き大切な人が、ただ死んで消えてしまったのではなく、お浄土で仏さまとなられ、今も間違いなく、この私と共にいてくださる、ということの確かな証(あかし)なのであります。