子どもが生まれて親となる

子どもとは、親から生まれてくるという事は皆さん納得していただけるかと思います。
では、親は子どもが生まれてから親になるという事はどうでしょうか?
生を授かり、母体の中で大きくなる中で、同時に親とならせて頂くのです。
つまり、親から子どもが生まれる訳でありますが、子どもによって親にならせていただくのです。
阿弥陀如来さまのことを、親さまと喩えられます。
それは、私に煩悩が絶えず沸き起こり、仏とはなれないと見抜いてくださればこそ、
阿弥陀如来という仏になられたのであります。
私があればこそ、この私を救わずにはおれないと本願を起こされたのです。
「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」(『大経』第十八願)
48の誓願を建てられるのですが、その冒頭に「私が仏になるとき・・・(種々48説かれます)あれこれで、
もし(浄土に)生まれないならば、私はさとりをひらきません」と誓われています。
つまり、私(衆生)が救われなければ、(阿弥陀様)の救いにはならないと、衆生の事を自らのこととして
誓願を立てられ、そして、その誓いが成就されたのです。
迷える衆生があればこそ、その私を救う親となられたのです。
煩悩まみれの私と阿弥陀如来さまが、子どもと親の関係に喩えられるのは、
衆生なくして仏はなく、仏なくして煩悩にまみれた私が救われる道はありません。
カエルの子どもは、大きくなるとカエルになります。
猫の子どもは、大きくなると猫になります。
今、南無阿弥陀仏のお念仏に出遇った我々は、ほとけの子どもです。
やがて、この命終えた時、阿弥陀如来さまのはたらきによって仏となります。
カエルの子どもが、大きくなって猫になることはありません。
猫の子どもが、大きくなってカエルになることはありません。
今お念仏頂く私たちは、ほとけの子どもです。
阿弥陀仏という親があればこそ、共々に仏になる命を生きているのであります。

-法話