最近、ケータイのメールアドレスを使わなくなり、ほどんとパソコンかラインで連絡を取るようになりました。仕事では手紙を書くことがまだまだありますが、昔の人はどんな気持ちで手紙を待っていたのでしょうか。今日は手紙テーマに法話をします。
手紙事情
手紙を通して思いをやりとりすると、会話とは違った雰囲気が味わえます。言葉一つ一つに相手の心を読みながら、何度も何度も読み返せることも一つの特徴です。
昔はメールやラインがなかったので手紙を送っては待ち遠しくずーっと待っていたようです。なかなか返信がないことを郵便が来る度に玄関先まで出ていって、届いた手紙の宛名を確認しては一喜一憂していたことでしょう。今では、メール送ればすぐに返信があり、ラインにいたっては相手が閲覧したかどうかまでこちらで確認できるので、相手の返信を待つことは一緒であっても「好きならすぐに返信するべきだ」などと1分1秒が待てなくなっているようです。
時代の変化
ある掲示板に
手紙を送っては1週間待ち
メールを送っては1日待つことができたが
ラインになって1分が待てなくなった
と、このような言葉が書いてありました。「なるほどなぁ」と思うことでした。
でも、ラインも悪いことばかりではありません。従来の連絡方法では1対1のやり取りでしたが、グループを作り複数人で井戸端会議のように自由に思いを発信できることも、ラインが便利になった特徴です。それが今の若者に重宝される理由かと思います。ラインのやりとりでも、手紙とは違った面白さが有ります。まるで漫才の掛け合いのように、テンポよく返信し合い、言葉遊びをしたり、誤変換と写真を送れる機能を利用して、「住所送って(じゅうしょおくって)」という言葉が間違って、「住職送って」と発信したことで相手から住職の写真が送られてきたという面白い話もあります。
手紙をテーマに一つお話を。
おばぁさんが、おじぃさんにお手紙を書かれました。
「あなた様のことを1日に何度も何度も思い出しております」
そうすると、おじいさんがこのようにお手紙を返されました。
「私はあなたの事を忘れることがないので、思い出すこともありません」
(忘れること無く候ば、思い出すことも候らわず)
このようなお話でした。このような手紙が来たら嬉しいでしょうね。このお手紙の場合は、男性の方が一枚も二枚も上手(うわて)ですね。1日に何度も何度も思い出すほど、あなたの事を思っていますよ。と伝えた女性の思いも大きなものですが、それに対して、男性の方は1日中一度も忘れることなく「あなた」のことを思っているのだから、思い出すという間もなくあなたのことを思っているという意味のお手紙でした。
とてもロマンチックな事かと思います。この話を聞いた時に、「なるほどなぁ」と思いました。
阿弥陀様が私をいつも思っていてくれる
私が手を合わせて念佛申すということは1日に何度も何度も思い出し、残念ながらその間には忘れてしまっているという事です。阿弥陀様のほうは、片時も私のことを忘れること無く、思っていてくださいます。
お正信偈には「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」にあるように「私たちは、煩悩によって仏様を見ることが出来ないが 仏様の方は常に私たちを照らし見守っていてくださる」というように親鸞聖人はお記しくださっております。
私たちは、やはり大切な人ほど何度も何度も手を合わせてお参りをしています。けれども、それはおばあさんの手紙のように、何度も何度も思い出すということは、忘れている間もあるということです。けれども仏様の方は、この私を「忘れることもないのだから思い出すこともない」というおじいさんのお言葉のように、いつも私と共にあり、おそばにいてくださるのでしょう。1枚も2枚も上手です。上手というか、ありがたいですね。