お釈迦様は、ガンジス河の砂を一握り掴み、弟子にお話されます。
「このガンジス河の砂の数と、私の手の中にある砂の数はどちらが多いか?」
「はいお釈迦様、それは大地の砂の方が多く、手の中にある砂の方が少ないです」
「そうだ。私の手の中にある砂のほうが少ない。人間の境涯に生まれるという
事は、それだけ難しいことなのです。地球には、犬や猫、昆虫、魚とたくさんの命が
あるが、人間に生まれたというだけで有り難いことなのです。」
そう言うと、お釈迦様は砂を片方の親指の爪の上に全部落とします。
「それでは阿難よ。さきほどの砂の数と、今、爪の上にある砂の数はどちらが多いか?」
「はいお釈迦様、それは今現に爪の上にある砂の数の方が少ないです」
「そうだ。人間の境涯に生まれながら、仏教の教えに出会う事はそれほど難しいことなのです」
お釈迦様のこのようなお話が残されています。
今日、このように1日を迎えられたこと、朝に目が覚めたことは当然のことではなく有り難い今を送っているのです。
仏教に出会えたこと、仏壇の手を合わせるということは、さらに遇い難きを、今出遇っているのです。
南無阿弥陀仏とお念仏申すご先祖さまがおればこそ、今日の私があるのでありました。
多くの方々が、身を削り・命を削って私まで届けられた命のバトンと「南無阿弥陀仏」のお念仏でありました。
ガンジス河の砂の数