お仏壇のお供え

お仏壇へのお供え

多くの方が、ご家庭のお仏壇に毎日お参りされていることと思います。その際、ご飯(お仏飯)をお供えするのはもちろんですが、それ以外に、お茶やお水などをお供えする方も多いのではないでしょうか。

あるお宅では、お母さまが毎朝、お仏壇にお仏飯と共に、お茶、お水、お酒の三つをお供えされていたそうです。それは、その方のお祖母さま、つまりお母さまのお母さまが、そのようにされていた習慣を、自然と受け継いでおられたのでしょう。

この法話をお読みくださっている方の中にも、もしかしたら「亡くなった方がのどが乾かないように」というお気持ちから、お仏壇にお水やお茶などをお供えされている方がいらっしゃるかもしれません。

お浄土にある「八功徳水」

しかし、浄土真宗の教えでは、阿弥陀さまの願いによって完成された仏さまの世界、極楽浄土には、「八功徳水(はっくどくすい)」という、八つの優れた功徳(性質)が備わった素晴らしい水が、豊かに存在していると説かれています。その八つの功徳とは、①甘く(甘)、②冷たく(冷)、③軟らかく(軟)、④軽く(軽)、⑤清らかで(清浄)、⑥臭みがなく(不臭)、⑦飲めば喉の渇きを癒すだけでなく(除患)、⑧飲んでもお腹をこわすことがない(増益)、というものです。

また、お浄土は、あらゆるものが完全に満たされた世界ですので、私たちがこの世で感じるような「お腹がすいた」とか「のどが渇いた」といった欠乏感は一切存在しません。

ですから、浄土真宗の考え方からしますと、私たちが「亡くなられた方がお腹を空かせているのではないか、のどが渇いているのではないか」と心配して、お水やお茶、あるいはお食事をお供えする必要は、本来はないのです。

お水の本当の意味とお供えの仕方

今、私たちの周りでは、水はお店でも家庭でも蛇口をひねれば簡単に手に入ります。場所によっては手を差し出すだけで自動で出てくるほどです。このように、いつでも手に入ることが当たり前の世界にいると、その有難味を忘れがちですが、ひとたび災害などが起こり、水が使えなくなると、私たちは水の尊さ、有難さを痛感します。極楽浄土は、そのような水の功徳、いのちを潤す水の恵みを、常に豊かに感受できる世界なのです。

ですから、浄土真宗でお仏壇に大切なお水を仏さまにお供えするときには、通常、「華瓶(けびょう)」と呼ばれる小さな花瓶のような仏具にお水を入れ、そこに樒(しきみ)などの香りの良い木(香木)の枝を挿してお供えします。これは、お浄土の素晴らしい香りのする「八功徳水」を象徴するものです。ご飯をお仏飯器(ぶっぱんき)に盛るように、お水は華瓶に入れてお供えするのが正式な形となります。

ただ、ご家庭のお仏壇では、この華瓶は大変小さいものであることが多く、形ばかりになってしまうことも少なくありません。しかし、このお水の意味、お供えの仕方を知っているのと、知らないまま過ごすのとでは、日々の仏さまとの向き合い方に、大きな違いが生まれてくるのではないでしょうか。

心を映すお供えと阿弥陀さまの願い

冒頭でご紹介した、毎日三つをお供えされていたお母さまは、後にこのお水の意味合いを知り、いつのまにかお茶やお酒はお供えされなくなった、ということです。

だからといって、お水やお茶などを絶対にお供えしてはいけない、ということではありません。実際、私がご門徒の方のお宅へ月忌参り(月命日の法要)に伺うと、お仏壇に可愛らしいコップで牛乳をお供えされているお家があります。お話を伺うと、それは早くに亡くされたお子さまが生前、牛乳が大好きだったからだそうです。そこには、いつまでも我が子を思う、親御さんの切々たるお心が込められているのを感じます。

そのようなお供えを通して、亡きお子さまを偲び、そして阿弥陀さまのはたらきによって仏となられた尊いいのちを敬う。悲しい別れをご縁として、それをただ悲しいだけで終わらせない、阿弥陀さまとの尊いつながりを確かめさせていただく。そのような大切な時間を、毎回いただいております。

極楽浄土は、他の誰でもない、この私のことを深く願い、阿弥陀さまが完成してくださった世界です。いつまでも我が子を思う親心のように、阿弥陀さまは、いつでも、どこでも、この私のことを思い、願い続けてくださっています。

報恩感謝のお念仏

お仏壇にお供えをする、あるいは手を合わせるという行いは、お浄土からの阿弥陀さまのはたらきかけ(願い)に対する、私たちの応答であり、感謝の表れです。その中心は、やはり「南無阿弥陀仏」のお念仏を申させていただくことであります。阿弥陀さまへの報恩感謝として、お念仏を申す日々を送らせていただきましょう。

-法話