渇きなき世界 -お浄土の八功徳水と阿弥陀さまの慈悲-

お浄土の池と八つの功徳の水(親鸞聖人の御和讃)

親鸞聖人がお書きくださった『浄土和讃』の中に、阿弥陀さまのお浄土の様子を描写された一首があります。これは、『仏説無量寿経』というお経に説かれている内容を元にされています。

七宝(しっぽう)の宝池(ほうち)いさぎよく 八功徳水(はっくどくすい)みちみてり 無漏(むろ)の依果(えか)不思議なり 功徳蔵(くどくぞう)を帰命(きみょう)せよ

(意訳:七種の宝で飾られた清らかな池には、八つの功徳をもつ素晴らしい水が満ち満ちている。煩悩の漏れることのない覚りの結果であるお浄土のありさまは、まことに不可思議である。この功徳の蔵である阿弥陀仏に帰命したてまつれ。)

この和讃にあるように、お浄土には七種類の宝石がちりばめられた美しい池があり、そこには「八功徳水」という、八つの優れた功徳(性質)を持つ水が豊かに湛えられている、と説かれています。 インドにおられた天親菩薩(てんじんぼさつ)が著された『倶舎論(くしゃろん)』という書物においては、この八つの功徳について、次のように説明されています。

それは、 ①甘く(甘) ②冷たく(冷) ③軟らかく(軟) ④軽く(軽) ⑤清らかで(清浄) ⑥臭みがなく(不臭) ⑦飲む時に喉を損なわず(飲時除患) ⑧飲み終わってお腹を壊すことのない(飲已増益) 水である、と。

いのちの水、その有難さ

水というのは、私たちが生きていく上で、一日たりとも欠かすことのできない、最も大切なものの一つです。

以前、ある方が学生時代のお話として、こんなことを語っておられました。当時、経済的に少し苦しい時期があり、電気やガスの料金を滞納してしまって、実際に止められてしまったことが数回あったそうです。しかし、同じように料金を滞納していても、水道だけは一度も止められたことがなかった、と。聞くところによれば、電気やガスは止まっても、なんとか工夫すれば生きていくことはできるけれども、水道だけは止まってしまうと、人の生死に直接関わる問題になる。だから、行政としても、料金を滞納しているからといって、すぐに止めることはせず、ぎりぎりまで待ってくれる場合が多いそうなんです。

また、大きな災害で建物が倒壊し、生き埋めになった方が、数週間ぶりに救出された際に、わずかに天井から滴り落ちる水滴を口にすることで、なんとか命をつないでおられた、という話も聞きます。それほどまでに、水というのは、私たちの生存にとって必要不可欠なものなのです。

水に苦しむ私たち

現代の日本では、蛇口をひねれば安全で清らかな水が出てくることが当たり前のようになっていますが、少し昔に遡れば、わざわざ水源地や共同の井戸まで、重い桶を運んで水を汲みに行かなければなりませんでした。その水も、中にはあまり飲むのには適さないようなものであっても、他に選択肢がなく、仕方なく利用していたという時代もあったことでしょう。

お坊さんの仲間には、お釈迦さまの歩まれた旧跡をたどって、インドへと旅行される方が結構いらっしゃいます。そうした方々の感想を聞くと、「ぜひまた行きたい」という方と、「もう二度と行きたくない」という方とに、はっきりと分かれることがあるそうです。「もう行きたくない」という方のほとんどが、旅行中に現地の食べ物や特に水が合わずに、お腹を壊して大変な思いをした、とおっしゃられています。日本での水の有り難さを、身をもって痛感されるようです。現代のインドでさえそうなのですから、その衛生環境や水事情を考えると、なかなか気軽に「行ってみたい」とは言いにくいかもしれません。

今のインドでもそうなのですから、かつてお釈迦さまがいらっしゃった頃のインドでの水事情は、さらに厳しかったであろう事が想像できます。水が濁っていたり、変な匂いがしたり、飲めばすぐにお腹を壊してしまうような水であっても、それを飲まなければ生きていけない、というような人々も、当時は沢山おられたのではないでしょうか。

阿弥陀さまの慈悲と智慧のあらわれ

ここで、最初のお浄土の話に戻ります。お浄土というのは、阿弥陀さまの「すべての生きとし生けるものを苦しみから救いたい」という願いが、完全に叶えられた世界です。逆に言えば、阿弥陀さまの願いというのは、私たちが生きるこの苦悩に満ちた現実社会の、いわば「裏返し」として考えられています。

つまり、お経に「八つの功徳を持つ素晴らしい水がある」と説かれているということは、この現実世界で、生きるのに欠かせない水によって、逆に苦しんでいる私たちの姿がある、ということを示しているのです。きれいな水が手に入らない苦しみ、水を求めて争う苦しみ、汚れた水を飲んで病気になったり命を落としてしまう苦しみ…。そのような水にまつわる苦しみから、すべてのいのちを解放したい。決して二度と、そのような苦しみを味わわせることはない世界を作ろう。それが阿弥陀さまの願いであり、その願いがお浄土を形作っているのです。

清らかな水を求める私たちの苦悩する姿を、決して他人事として見過ごすことができない。案ぜずにはおれない。それが阿弥陀如来のお慈悲であり、そのお慈悲は、阿弥陀さまの完全な覚りの智慧(ちえ)から生まれたものです。

その智慧と慈悲が円満に備わり、決して二度と人々を水によって苦しませることがないという阿弥陀さまの願いが、完全に成就された場所。それが、八功徳水満ちるお浄土の世界なのでありました

-法話