お弁当の思い出
運動会や遠足といった学校行事で、私たちが一番楽しみにしていたのは、やはりお弁当の時間ではなかったでしょうか。お母さんが朝早くから作ってくれたお弁当。たとえ冷めたご飯とおかずであっても、青空の下で友達と一緒にワイワイ言いながら楽しく食べた、そんな温かい思い出が残っているのは、きっと皆さまも同じではないかと思います。
そしてもう一つ、お弁当には、ただお腹を満たすだけでなく、それを作ってくれた親の子どもたちへの様々な思いや願いが、たくさん込められているのではないでしょうか。
お弁当に込められた願い(東井義雄先生のお話)
東井義雄(とうい よしお)さんという、兵庫県ご出身で、浄土真宗の僧侶であり、また優れた教育者でもあられた方(1912~1991)がいらっしゃいます。その東井先生が、ある小学校の校長先生をされていた時のお話が心に残っています。
ある年の春の遠足の時、東井先生が引率された五年生の子どもたちの多くが、家で作ってもらったお弁当ではなく、お店で買ってきたお弁当を持ってきていたそうです。そのことに、先生は一抹の寂しさを感じられました。そして、その子たちが六年生になり、小学校生活最後の修学旅行を迎える前に、保護者会を開いて、親御さんたちに次の二つのお願いをされた、といいます。
東井先生は、保護者の方々にこうお願いされました。 「保護者の皆様がお忙しいのは、重々存じております。しかし、子どもたちにとっては、一生に一度の、大切な修学旅行なのです。どうか、いつもより少しだけ早く起きていただいて、性根を入れてギュッと握った、手作りのおにぎりのお弁当を持たせてやってくださいませんか。」
「そしてもう一つ、お弁当と共に、『お父さんやお母さんが、あなたの幸せを、どんな風に願っているか』というそのお気持ちを、走り書きでも結構ですから、短いお手紙に書いて、お弁当と一緒に入れてやってくださいませんか。」
修学旅行当日、昼食の時間になり、子どもたちがお弁当の包みを開けると、中から思いがけないお父さん、お母さんからの手紙が出てきました。その手紙を見つけて、あまりの嬉しさに踊り回っていた子や、あるいは、涙ぐみながら何度も何度もその手紙を読み返していた子も居たそうです。
阿弥陀さまからの「心のお弁当」
このお話を味わうとき、私たちもまた、阿弥陀さまという仏さまから、温かい「お弁当」をいただいているのだなぁ、と感じます。それは、私たちのお腹を満たすためのお弁当ではありません。私たちの心を満たし、人生を豊かにしてくれる、「心のお弁当」です。
そして、その阿弥陀さまからのお弁当にも、「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」と書かれた、短いけれども、この上なく大切な「お手紙」が添えられているのです。
「南無阿弥陀仏」という手紙を読む
阿弥陀さまは、様々な悩みや苦しみを抱えて生きていかなければならない、この私たちのことを深くご覧になり、「何ものにも惑わされることのない、大きな、確かな安らぎの世界(お浄土)へと至らせてあげたい」と、心から願ってくださいました。それが阿弥陀さまの本願(ほんがん)です。
私たちは、その阿弥陀さまの深い願いを心にとどめて忘れることなく、日々、「南無阿弥陀仏」という阿弥陀さまからの「お手紙」を、何度も何度も読み返していくのです。お念仏申すということは、阿弥陀さまの願いのこもった手紙を、この身に、この心に、繰り返し繰り返し、読ませていただくことでもあるのです。