『正信偈』のこころ ~その成り立ちと私たちへのメッセージ~

1. はじめに

『正信偈』との出会い

浄土真宗の門徒である私たちにとって、『正信偈』(しょうしんげ)、正式には『正信念仏偈』(しょうしんねんぶつげ)は、日々のお勤めや法要の際に最も耳にする機会が多く、馴染み深いものでしょう 。子供の頃、ご家族と一緒にお仏壇の前でお参りした記憶をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません 。しかし、その一方で、『正信偈』がどのような背景で生まれ、どのような内容が説かれ、私たちにとってどのような意味を持っているのか、深く学ぶ機会は意外と少ないのかもしれません 。

この記事では、具体的な句の一つ一つの詳しい解説は避けながら、『正信偈』の成り立ち、説かれている教えの概略、そして現代を生きる私たち門徒にとってどのような大切なメッセージが込められているのかを、できる限り平易な言葉で紐解いていきたいと思います。

記事の構成

本記事は、以下の順で『正信偈』について解説を進めます。

  1. 作者である親鸞聖人とその主著『教行信証』における位置づけ:
    誰が、どのような書物の中に『正信偈』を記されたのか。
  2. 『正信偈』が生まれた鎌倉時代の背景と、聖人の歩み:
    どのような時代状況の中で、親鸞聖人はこの教えに出遇われたのか。
  3. 『正信偈』全体の構成:
    阿弥陀仏への讃嘆と、その教えを伝えてこられた七人の高僧への讃嘆という、二つの大きな柱について。
  4. 現代を生きる私たち門徒にとっての『正信偈』の意義:
    日々のお勤めで拝読する『正信偈』が、私たちの生活とどのように関わっているのか。

この記事を通して、『正信偈』への理解を深め、阿弥陀さまの広大なお慈悲と、親鸞聖人の深いお心を、改めて味わう一助となれば幸いです。

2. 『正信偈』の作者・親鸞聖人とその著作

親鸞聖人とは

『正信偈』をお作りになったのは、浄土真宗の宗祖(しゅうそ)である親鸞聖人(しんらんしょうにん、1173年~1263年)です 。親鸞聖人は、その90年のご生涯を通じて、阿弥陀仏(あみだぶつ)という仏さまがすべての人々を分け隔てなく救うと誓われた「本願(ほんがん)」と、その本願のはたらき(他力・たりき)によって私たちが救われていく道を明らかにされ、多くの人々に伝えられました 。

主著『教行信証』

親鸞聖人の教えのすべてが記されているとされるのが、主著である『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)です 。この書物は浄土真宗の大切な聖典と位置づけられています 。正式な名称は『顕浄土真実教行証文類』(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)といい、「浄土の真実の教え・行い・信心・さとりを顕かにする文類」という意味合いを持ちます 。

『教行信証』は、お釈迦さまが説かれたお経(特に『仏説無量寿経』)や、インド・中国・日本の祖師方がその教えを解釈された書物(論・釈)を数多く引用しながら、阿弥陀仏の救いの真実である「教(教え)・行(行い)・信(信心)・証(さとり)」とは何かを、親鸞聖人ご自身の深い思索と体験に基づいて体系的に明らかにされた、壮大な書物なのです 。

『教行信証』における『正信偈』の位置づけ

では、『正信偈』は、この大著『教行信証』の中で、どのような位置にあるのでしょうか。『教行信証』は全部で6つの巻(教巻・行巻・信巻・証巻・真仏土巻・化身土巻)から構成されていますが、『正信偈』はその中の「行巻」(ぎょうかん)の末尾に記されています 。

『正信偈』は、1行が7つの漢字で構成され、全部で120行、合計840文字からなる「偈」(げ)、つまり「うた」の形式をとっています 。その内容は、『教行信証』全体で明らかにされた教え、特に阿弥陀仏の本願による救いと、その教えがお釈迦さまから七人の高僧(後述)を経て親鸞聖人ご自身にまで正しく伝えられてきた歴史が、この短い詩の形式の中に凝縮されています 。

したがって、『正信偈』は、お釈迦さまが直接説かれた言葉を記録した「お経」そのものではありません 。しかし、お経、特に浄土真宗の根本経典である『仏説無量寿経』に基づいて、親鸞聖人が仏教の真髄、浄土真宗の教えの要点を深く受け止め、私たちに示してくださったものであるため、お経に準ずるものとして、古来より非常に大切に扱われ、読誦されてきました 。

『正信偈』が単なる教義の要約にとどまらず、多くの門徒にとって特別な響きを持つのは、そこに親鸞聖人ご自身の深い信仰体験が色濃く反映されているからかもしれません。冒頭と結びには、阿弥陀仏の本願によって救われた親鸞聖人自身の抑えきれない喜びと深い感謝、そしてその教えをすべての人々と分かち合いたいという切なる願いが表明されています 。このように、客観的な教えの要約と、主観的な信仰の告白という二つの側面を併せ持っていることが、『正信偈』の大きな特徴であり、時代を超えて人々の心を捉え続ける理由の一つと言えるでしょう。私たちが『正信偈』を読誦するとき、それは浄土真宗の核心的な教えに触れると同時に、宗祖親鸞聖人の温かいお心に触れることでもあるのです。

3. 『正信偈』が生まれた時代:鎌倉仏教と人々の願い

混乱の時代と末法思想

親鸞聖人が生きた平安時代の末期から鎌倉時代にかけて(12世紀後半~13世紀)は、日本社会が大きな変動に見舞われた時代でした。貴族政治が衰え武士が台頭し、源平の合戦をはじめとする戦乱が相次ぎました 。また、度重なる飢饉や地震、火災などの天災にも見舞われ、多くの人々が苦しい生活を強いられ、社会全体が不安定で混沌とした状況にありました 。

このような社会不安の中で、人々の心に深く浸透していったのが「末法思想」(まっぽうしそう)です 。末法思想とは、仏教における歴史観の一つで、お釈迦さまが入滅された後、時代が進むにつれて仏さまの正しい教え(正法)が次第に衰え、修行しても悟りを得ることが困難になり、やがて教えだけが残り形骸化する時代(像法)を経て、ついには教えも修行も行われなくなり、争いや災いが満ちる救われがたい時代(末法)が到来するという考え方です 。当時の日本では、永承7年(1052年)をもって末法の世に入ったと広く信じられており 、相次ぐ戦乱や天災はまさに末法の世の現れであると受け止められていました 。

このような時代状況の中で、人々は現世での安穏だけでなく、死後に阿弥陀仏の極楽浄土へ往生して安らぎを得たいと切実に願うようになりました 。

親鸞聖人の求道と法然上人との出会い

親鸞聖人もまた、この末法の時代に生まれ、深く苦悩されたお一人でした。9歳という若さで出家し、京都の比叡山で20年もの間、学問と厳しい修行に明け暮れましたが、自身の心の中にある断ち切れない煩悩(欲望や怒り、ねたみなど)に悩み続け、どうしても悟りを開くことができませんでした 。

29歳の時、親鸞聖人はついに比叡山を下りる決意をします。そして、聖徳太子ゆかりの京都・六角堂(ろっかくどう)に百日間籠もり、救いの道を求め続けました。その95日目の暁、夢の中に聖徳太子が現れ、お告げを授かります。そのお告げに導かれるようにして、親鸞聖人は当時、京都の吉水(よしみず)という場所で、多くの人々に念仏の教えを説かれていた法然上人(ほうねんしょうにん、源空)のもとを訪ねました 。

法然上人は、難しい学問や厳しい修行(自力・じりき)によらずとも、ただひたすらに阿弥陀仏の本願(すべての人を救うという仏さまの誓い)を信じ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称えれば、阿弥陀仏のはたらき(他力・たりき)によって、どのような身分の人でも、善人であっても悪人であっても、誰もが平等に救われ、極楽浄土に往生することができる(専修念仏・せんじゅねんぶつ)と説いておられました 。

比叡山での修行によっては救いを見いだせなかった親鸞聖人にとって、法然上人のこの教えは、まさに暗闇の中の光でした。これこそが、末法の世に生きる悩み深い凡夫(ぼんぶ=普通の人々)である自分自身を含むすべての人々に開かれた、真実の救いの道であると深く感動し、法然上人を生涯の師と仰ぎ、自らも念仏者として生きることを決意されたのです 。

他力本願・念仏の教えの確立

末法の時代においては、人々が自らの力で厳しい修行を完成させ、悟りを開く道(聖道門・しょうどうもん、難行道・なんぎょうどう)は極めて困難であると考えられていました 。法然上人、そしてその教えを受け継いだ親鸞聖人は、そのような時代だからこそ、阿弥陀仏が私たち凡夫のために建てられた誓願(本願)とそのはたらき(他力)を信じ、念仏を称えることによって浄土に往生し、そこで悟りを開く道(浄土門・じょうどもん、易行道・いぎょうどう)こそが、私たちにとって唯一確かな救いの道であると明らかにされました 。

この「他力本願」と「念仏」を中心とする教えは、末法の世相の中で不安や絶望を感じていた当時の人々の心に深く響き、貴族から武士、庶民に至るまで、多くの人々に受け入れられ、広がっていきました 。

『正信偈』は、このような時代背景の中で、親鸞聖人によって著されました。末法という、仏教の教えが衰退し、人々が救われにくいと考えられた時代にあって、『正信偈』は、阿弥陀仏の本願という決して揺らぐことのない確かな救いの根拠を示し、念仏ひとつで誰もが必ず救われるという希望のメッセージを力強く宣言するものだったのです。当時の人々が感じていた、自力ではどうにもならないという深い絶望感や、救いへの切実な願いに対して、『正信偈』は明確な答えを与えました。それは、個人の能力や時代の状況に左右されることなく、阿弥陀仏の変わらぬ慈悲の誓願にこそ、私たちの救いの確かな拠り所があるという宣言でした。この、人間の限界や時代の闇を超えた普遍的な救いのメッセージこそが、『正信偈』が末法の時代のみならず、現代に至るまで多くの人々の心の支えとなり続けている理由と言えるでしょう。

4. 『正信偈』の構成:阿弥陀仏と七高僧への讃嘆

全体の流れ:二つの大きな柱

『正信偈』は、その内容から大きく二つの部分に分けて理解することができます 。

  1. 前半(依経段・えきょうだん):
    阿弥陀仏とその本願による救いについて述べられている部分。
  2. 後半(依釈段・えしゃくだん):
    阿弥陀仏の教えを正しく解釈し、伝えてこられた七人の高僧(七高僧・しちこうそう)の功績について述べられている部分。

この二部構成によって、阿弥陀仏の救いの根源とその教えが歴史を通してどのように私たちまで届けられたのかが示されています 。

前半(依経段):阿弥陀仏の救いを讃える

『正信偈』の前半部分は、「依経段」と呼ばれます。これは、浄土真宗の根本聖典である『仏説無量寿経』(ぶっせつむりょうじゅきょう)というお経の内容に基づいて記されているためです 。

この部分では、まず、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)という名の修行者であったときに、すべての生きとし生けるものを救うために、どのような素晴らしい誓願(本願)を建てられたのかが述べられます 。そして、その誓願が成就して阿弥陀仏となられ、その仏さまの限りない光(光明)と、そのお徳のすべてが込められたお名前(名号・みょうごう)、すなわち「南無阿弥陀仏」によって、私たちがどのように救われていくのか、その確かさが讃えられています 。

さらに、私たちがお手本とすべきお釈迦さまが、この世にお生まれになった本当の目的(出世本懐・しゅっせほんかい)も、他の教えではなく、この阿弥陀仏の本願、すなわちすべての人々を救う広大な慈悲の教えを説き明かすためであったことが示されています 。これにより、阿弥陀仏の救いが仏教の中心的な教えであることが強調されます。

後半(依釈段):教えを伝えた七高僧を讃える

『正信偈』の後半部分は、「依釈段」と呼ばれます。これは、阿弥陀仏の教え、特にお経の解釈(釈)に基づいて記されているためです 。親鸞聖人は、お釈迦さまの説かれた阿弥陀仏の本願念仏の教えが、時代や国を超えて、七人の尊敬すべき高僧たちによって正しく受け継がれ、明らかにされてきたと考えられました。この七人の方々を、浄土真宗では「七高僧」とお呼びし、深く尊敬しています 。

依釈段では、これら七高僧、すなわちインドの龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)・天親菩薩(てんじんぼさつ)、中国の曇鸞大師(どんらんだいし)・道綽禅師(どうしゃくぜんじ)・善導大師(ぜんどうだいし)、そして日本の源信和尚(げんしんかしょう)・源空(法然)上人(げんくう(ほうねん)しょうにん)が、それぞれの時代と場所において、阿弥陀仏の本願の教えをどのように深く理解し、誤りなく後の世に伝えてこられたか、その偉大な功績が一人ひとり讃えられています 。

親鸞聖人は、これら七高僧の著書や解釈を通して、阿弥陀仏の真実の教えが間違いなく自分のもとまで届けられたことに深い感謝の念を抱き、その教えの正しさに対する確信を表明されています 。

七高僧(しちこうそう)

番号 お名前 読み方 出身
1 龍樹菩薩 りゅうじゅ ぼさつ インド (印度)
2 天親菩薩 てんじん ぼさつ インド (印度)
3 曇鸞大師 どんらん だいし 中国 (中夏)
4 道綽禅師 どうしゃく ぜんじ 中国 (中夏)
5 善導大師 ぜんどう だいし 中国 (中夏)
6 源信和尚 げんしん かしょう 日本 (日域)
7 源空(法然)聖人 げんくう(ほうねん) しょうにん 日本 (日域)

『正信偈』の構成そのものが、その題名である「正信偈(正しい信心のうた)」を裏付ける役割を果たしていると考えることができます 。前半(依経段)で、信仰の根源である阿弥陀仏の本願をお経に基づいて示し、後半(依釈段)で、その理解が親鸞聖人個人のものではなく、インドから日本へと至る尊敬すべき祖師方によって歴史的に受け継がれ、明らかにされてきたものであることを示す。この流れによって、私たちが依りどころとすべき教えが、確かな権威と歴史的な連続性を持っていることが明らかにされ、「これこそが正しい信心(正信)の道である」という確信が深められるのです。したがって、『正信偈』を読誦することは、単に阿弥陀仏や高僧方を讃えるだけでなく、浄土真宗という教えの正当性を再確認し、自らの信心を歴史の中に位置づける行為とも言えるでしょう。

5. 『正信偈』と私たちの生活:門徒にとっての意義

浄土真宗の教えの核心

『正信偈』には、浄土真宗の教えの最も大切なエッセンスが凝縮されています 。それは、私たちのような煩悩を抱えた凡夫が救われる道は、自らの力で成し遂げる難しい修行や善行によるのではなく、ひとえに阿弥陀仏の本願のはたらき(他力)を深く信じ(信心)、その仏さまのお名前である「南無阿弥陀仏」を称えること(称名・念仏)にある、という教えです 。

『正信偈』は、私たちが救われるための原因(因)も結果(果)も、すべて阿弥陀仏の側から私たちに差し向けられている(廻向・えこう)ことを繰り返し強調しています。つまり、私たちが何かを達成するから救われるのではなく、阿弥陀仏が私たちを救うと誓い、その救いをすでに完成させて、私たちに届けてくださっている、という「他力」の教えが中心となっているのです。

信心の表明と感謝の心

『正信偈』を日々のお勤めなどで読誦することは、この阿弥陀仏の救いを信じ、お任せしますという「帰依」(きえ)の心を表すとともに、すでに阿弥陀仏の広大な慈悲の中に生かされていることへの尽きない喜びと感謝(報恩・ほうおん)の念を表す大切な行いとなります 。

特に、『正信偈』の冒頭の二句と結びの二句には、親鸞聖人ご自身が阿弥陀仏の本願によって救われた深い感動と、その計り知れない喜びを、時代や場所を超えてすべての人々と分かち合いたいという切なる願いが込められていると言われます 。私たちが『正信偈』を唱えるとき、それは親鸞聖人のこの深い喜びと願いに、時を超えて触れることでもあるのです。

日常のお勤めとしての定着(蓮如上人の役割)

今日、私たち浄土真宗の門徒が『正信偈』を朝夕のお勤めなどで日常的に読誦するようになったのは、本願寺第八代宗主である蓮如上人(れんにょしょうにん、1415年~1499年)の功績が大きいと言われています 。親鸞聖人の時代には、必ずしも『正信偈』が現在のような形で日常的に読まれていたわけではなかったようです 。

蓮如上人は、戦乱などで混乱していた本願寺教団を再興し、親鸞聖人の教えをより多くの人々に、より分かりやすく伝え広めるために尽力されました。その一環として、『正信偈』に、親鸞聖人が日本語で教えを詠まれた「和讃」(わさん)をいくつか組み合わせ、さらに念仏を加えて、浄土真宗の日常的な勤行(お勤め)の形式として定められたのです 。『正信偈』も『和讃』も、元々声に出して唱えることを前提とした「うた」であり、文字数が整えられているため、節(ふし)をつけて唱えやすく、多くの人々が親しみやすい形でした 。

蓮如上人は、親鸞聖人が『正信偈』に込めた「多くの人に念仏の教えが伝わってほしい」という願いを深く受け止め、この『正信偈』の読誦を広く奨励されました 。これが、浄土真宗の門徒の間に『正信偈』が広く普及し、今日まで大切に受け継がれてきた大きな理由です 。

現代を生きる私たちへのメッセージ

『正信偈』に説かれている阿弥陀仏の本願とその慈悲による救いは、時代や社会がどのように変化しようとも、決して変わることのない真実として、現代を生きる私たちにも力強く響いてきます。

私たちは皆、日々の生活の中で様々な悩みや苦しみを抱えて生きています。『正信偈』の中では、そのような私たちを「苦悩の有情(くのうのうじょう)」と表現されています 。仕事のこと、人間関係、健康や老い、そして避けられない死の問題など、思い通りにならない現実に直面し、不安や悲しみを感じることは誰にでもあるでしょう 。

そのような私たちにとって、『正信偈』に示される阿弥陀仏の教え、すなわち「どのような者であっても、そのままの姿で必ず救いとる」という他力本願のメッセージは、人生を歩む上での確かな拠り所となり、困難な状況にあっても私たちを支え続けてくれる、大きな心の支えとなります。

科学技術が発達し、物質的には豊かになった現代社会ですが、一方で、競争や効率が優先され、人間関係が希薄になり、孤独や生きづらさを感じる人も少なくありません。このような時代だからこそ、「自分の力だけで頑張らなくてもよい」「ありのままのあなたで大丈夫」と呼びかけ続ける阿弥陀仏の慈悲に触れることの意味は大きいのではないでしょうか。

日々のお勤めを通して『正信偈』に親しみ、その言葉に耳を傾けることは、私たちを常に摂(おさ)め取ってくださる阿弥陀仏の広大な願いに立ち返り、日々の生活を感謝のうちに、そして他の人々への思いやりをもって生きていくための、大切な時間となるはずです 。また、私たちが『正信偈』を大切に受け継ぎ、次世代へと伝えていくことは、親鸞聖人や蓮如上人をはじめとする先人たちが私たちに繋いでくださった、この尊い教えの灯を未来へと受け渡していく大切な役割をも担っているのです 。

『正信偈』は、単なる歴史的な文献や儀式のためのお経文なのではなく、鎌倉時代に生まれたそのメッセージが、現代社会が抱える様々な課題や、私たち一人ひとりが持つ普遍的な苦悩にも深く応えうる、時代を超えた生きた教えなのです。その価値は、阿弥陀仏の変わらぬ慈悲の光が、どのような時代の、どのような私たちをも照らし続けているという事実に根ざしています。

6. おわりに

『正信偈』に込められた親鸞聖人の願い

『正信偈』は、親鸞聖人が、阿弥陀仏の本願力によって、長く続いた苦悩の人生からついに救われたという、計り知れないほどの深い喜びと感謝の念を、詩の形(偈文)で表現されたものです 。しかし、その思いは聖人ご自身にとどまるものではありませんでした。『正信偈』の結びには、「道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」(すべての人々よ、共に同じ信心を得てほしい。そのためには、ただこの七高僧の教えを信じるべきである)と述べられているように 、この計り知れない救いの喜びを、自分一人だけでなく、時代や場所を超えたすべての人々と分かち合い、誰もが念仏の教えに出遇い、真実の信心を得て、共に阿弥陀仏の浄土に生まれていきたいという、親鸞聖人の切なる願いが込められているのです 。

教えに触れ、学び続けることの大切さ

『正信偈』は、浄土真宗の教えの要(かなめ)が凝縮された、私たち門徒にとって最も大切な聖典の一つです 。日々の勤行で声に出して読誦することはもちろん大切ですが、それだけでなく、その背景にある親鸞聖人のご生涯や当時の時代状況、そして『正信偈』に説かれている阿弥陀仏の救いや七高僧の教えについて、学び続けることが、私たちの信心をより深く、確かなものにしていく上で不可欠です 。

『正信偈』の言葉一つ一つに込められた意味を深く味わうことは、私たちを常に包んでくださっている阿弥陀仏の広大なお慈悲に改めて気づかせてくれ、日々の生活の中で迷ったり悩んだりした時に、立ち返るべき確かな依り所を与えてくれます。

この記事が、皆さまにとって、改めて『正信偈』と真摯に向き合い、そこに込められた親鸞聖人の深いお心と、阿弥陀仏の限りない慈悲を、ご自身の生活の中でより豊かに味わっていくための、ささやかな一助となることを心より念じております。

-正信偈のこころ