木の葉の移ろい、いのちの移ろい
秋が深まり、木々の葉がその色を鮮やかに変え、やがて冷たい風に吹かれてハラハラと舞い散る季節には、自然界の大きな移ろいを感じずにはいられません。
例えば、桜や楓、銀杏(いちょう)や欅(けやき)といった木々を思い浮かべてみましょう。初夏には生命力あふれる若葉が、目にしみるほどの濃い緑を示します。そして、厳しい冬を迎える前の秋には、それぞれが持つ独特の美しい色(赤や黄色)で自らを染め上げ、やがて静かに葉を落としていきます。春を待ち、再び新しいいのちを芽吹かせるために。
この四季を通じた木の葉の移り変わりの姿は、まさしく、私たち人間の「いのち」そのものが移ろいゆく姿に、よく似ているように思われます。
人生を染め上げる出遇い
植物がその生長の過程で、太陽の光や水、土の養分を得て、自らの内に様々な色素を合成していくのと同じように、私たち人間もまた、人生という熟成していく過程の中で、様々な人との「出遇い」や、書物との「出遇い」、心に残る「体験」や日々の「学習」などを通して、一人ひとり、それぞれの人生の色合いを染め出してゆくのではないでしょうか。
親鸞聖人(しんらんしょうにん)と法然上人(ほうねんしょうにん)
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、二十九歳の時、生涯の師となる法然聖人(源空)と出遇われました。それまで二十年もの間、比叡山で厳しい自力難行(じりきなんぎょう)の道を歩んでこられた親鸞聖人でしたが、法然上人との出遇いによってその道と決別し、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし(ただお念仏をとなえて、阿弥陀さまの救いに身をまかせなさい)」と説かれる他力易行(たりきいぎょう)のお念仏の救いに、深く帰依(きえ)されました。
親鸞聖人は、この人生を変えるほどの大きな出遇いの慶(よろこ)びを、次のように歌いあげておられます。
「曠劫多生(こうごうたしょう)のあいだにも 出離(しゅつり)の強縁(ごうえん)しらざりき 本師源空(ほんしげんくう)いまさずは このたびむなしくすぎなまし」
(意訳:想像もつかないほど長い間、迷いの世界を輪廻してきたが、そこから抜け出す確かな縁を知らずにいた。もし、本師である源空(法然)聖人がこの世にいらっしゃらなかったならば、この度の私の人生も、むなしく迷いのままに過ぎてしまったことであろう。)
そして親鸞聖人は、法然聖人を、ただの師僧としてだけではなく、
「源空(げんくう)勢至(せいし)と示現(じげん)し あるいは弥陀(みだ)と顕現(けんげん)す」
(意訳:(法然聖人は、時に勢至菩薩としてこの世に現れ、あるいはまた、阿弥陀如来そのものが姿を現された方なのである)
と、まるで阿弥陀如来の化身(けしん)であるかのように、深く尊敬し仰がれているのです。
南無阿弥陀仏に生きる
法然上人との出遇いを通して、阿弥陀さまの「まかせよ、必ず救う」という、私たちへのはたらきかけそのものである「南無阿弥陀仏」を、深くご自身の身の上に受け止められた親鸞聖人は、その後の人生を、次のような確信と共に歩み抜かれました。
「生(い)けらば念仏(ねんぶつ)称(とな)えなん、 死なば浄土(じょうど)に還(かえ)りなん、 とにもかくにも己身(こしん)は思(おも)いわずらふことなし」
(意訳:もしこのまま生き続けるならば、ただお念仏を称えていこう。もしここで命終わるならば、阿弥陀さまのお浄土に還らせていただくのだ。どちらにしても、この私自身の行く末について、何も思い悩むことはない。)
その九十年のご生涯は、まさに「南無阿弥陀仏」という、阿弥陀さまの智慧と慈悲の色に深く染め上げられ、そして、如来さまのかぐわしい智慧の光によって美しく飾られたものであった、と言うことができるでしょう。
人はそれぞれ、与えられた環境の中で、あるいは、それぞれが自ら築き上げた環境の中で、やがていのちを終え、散っていきます。しかし、お念仏を申す者の身の上は、その人生が、阿弥陀さまのお慈悲の色である「南無阿弥陀仏」に染め上げられていくのです。そして、私が私の欠点も何もかも含めた「私のまんま」で、阿弥陀さまの光の中に輝かしめられ、同じように、あなたが「あなたのまんま」で光り輝いていく。そのような世界が開かれてくるのです。