いただきます

今、公立の学校では食事の最初と最後に、「いただきます」・「ごちそうさまでした」と
言わないようにしていると聞いたことがあります。
いかがでしょうか?近所の学校では「いただきます」・「ごちそうさまでした」と言うように
教育されていますか??
一部メディアでは、親御さんが食事の言葉を言うことについて抗議されたと聞いたことがあります。
その理由は、給食費を払っているのだから「食べる権利がある」という主張であったように記憶しています。
どうして私たちは、「いただきます」・「ごちそうさまでした」という文化があるのでしょう。
3つの視点があるかと思います。
・儀礼・行儀として、合図のような言葉として
・作ってくれた人・運んでくれた人へのお礼として
・宗教的に「いのち」への感謝として
この3つに分類できるのじゃないでしょうか??
子どもに「どうして言う必要があるの??」と聞かれたら何と答えますか??
カレーを食べるとすると、中には具材としてジャガイモ・ニンジン・牛肉などでしょうか。
牧場で元気にしていた牛が、その大事ないのちをくれたのです。
ニンジン・ジャガイモも、その大事ないのちをくれたのです。
私たちが口にする食べ物すべてがそうです。そのいのちを私にくれたのです。
たくさんのいのちをいただいて、私の命は支えられているのです。
この身体が温かく、元気に動けるのは、私が頑張ったからではありません。
食事を作り、届けてくれた人だけでは成立しません。
ましては形だけの作法ではありません。「よーいドン」ではないのです。
ごちそうそのもののいのちに言って身に付けるこそが、本当にいただくことになるのではないでしょうか。
金子みすずがこのような言葉を言っています。
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(いわし)の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何萬(まん)の
鰮のとむらい
するだろう。
今一度、手を合わせて「いただきます」・「ごちそうさまでした」の意味を考え、
いのちのあり方について深めてみたいと思う私でありました。

-法話