お母さんへの短い手紙
昔のことになりますが、「一筆啓上・日本一短い母への手紙」という、一般の方から公募された短い手紙を集めた本が、ベストセラーになりました。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。その中に、このような一通の手紙があります。
「お母さん、あなたからもらった物は数多く 返せる物はとてもすくない おかげさま、おかげさま」
わずかこれだけの言葉ですが、そこにはお母さんへの深い感謝の気持ちが凝縮されているように感じられます。
「おかげさま」という言葉
私たちは日常、「おかげさまで元気です」とか「おかげさまで、無事に終わりました」というように、「おかげさま」という言葉をよく使います。この「おかげさま」という言葉、真ん中に「かげ(影)」という文字がありますね。この「かげ」とは、光が当たっている「日向(ひなた)」に対する「影」、つまり、普段は私たちの目には見えないところ、気づかないところ、という意味合いが含まれています。
その「かげ」という言葉に、丁寧語の「お」と「さま」という敬称を付けて、「おかげさま」と言います。つまり、この言葉には、目に見えているものだけではなく、目に見えないもの、普段は気づかずにいるものも含めて、あらゆるもの、あらゆるご縁によって、この「私」が生かされているのだなぁ、という事実に目覚め、その有り難さに静かに頷(うなず)いていく。そのような、深い感謝の心が込められているのです。
子が母を思うように(親鸞聖人の和讃)
親鸞聖人は、阿弥陀さまと私たちとの関係を、親子の関係にたとえて、次のような和讃(わさん)で示してくださいました。
「子の母をおもうがごとくにて
衆生(しゅじょう)仏(ぶつ)を憶(おく)すれば
現前(げんぜん)当来(とうらい)とほからず
如来(にょらい)を拝見(はいけん)うたがはず」(意訳:子どもがその母親を常に心にかけて慕(した)うように、私たち衆生が阿弥陀さまのことを心に憶(おも)い、お念仏申すならば、この世(現前)においても、また将来お浄土に生まれていく時(当来)においても、阿弥陀さまは決して遠くにおられるのではなく、そのお姿を疑いなく拝見することができるのである)
子どもが、いつも自分のことを気にかけてくれているお母さんを思うように、私たち人間が、阿弥陀さまの私たちに対する深い思い、そして「必ず救う」という願い(本願)を聞かせていただく中に、決して間違うことのない、阿弥陀さまに出遇える世界があるのだよ、と親鸞聖人は深くお慶びになられました。
阿弥陀さまの親ごころ
親というものは、子どもが笑えば自分のことのように喜び、子どもが泣けば自分のことのように心を痛め、心配をします。そして、子どもから「お願い」と頼まれもしないのに、ご飯を食べさせてくれ、頼みもしないのにお風呂にいれてくれ、季節に合わせて服を着せてくれる。それも、私たちが物心ついてからのことだけではありません。この世に「おぎゃー」と生まれてから今日この時まで、一時も休むことなく、私たちを案じ、見守り、育て続けてくれているのです。
今、子どもが母を思うように、私たちが阿弥陀さまの「必ず救う」という願いを聞かせていただくと、阿弥陀さまは、この私たちのいのちを、一人ひとり、かけがえのない、しかも迷いを抱えたままの、放っておけないいのちとしてご覧になってくださっていることが知らされます。
そんな私たちを、「欲も多く、怒り、腹立ち、妬み、嫉む心が多く満ちていて、臨終の一念にいたるまで、その心がとどまることも、消えることも、絶えることもない、この煩悩具足(ぼんのうぐそく)の身」であると、その本質をすべて見抜いておられます。そのような、どうしようもない私たちのいのちだからこそ、「必ず救おう」と願いをたてられ、その願いは必ず私たちを救う力(はたらき)となって完成し、「南無阿弥陀仏」という、私たちにとっての真実の親としての名乗りとなって、今、ここに届いてくださっているのです。
全てを等しく(慈眼のまなざし)
阿弥陀さまの私たちへのまなざしについて、源信和尚(げんしんかしょう)の『往生要集(おうじょうようしゅう)』の中にはこのように説かれています。
「慈眼(じげん)をもって衆生(しゅじょう)を視(みそな)はすこと 平等(びょうどう)にして一子(いっし)のごとし」
(意訳:阿弥陀さまは、慈しみの眼(まなざし)をもって、すべての生きとし生けるものを分け隔てなく平等にご覧になり、その一人ひとりを、まるでただ一人の大切な我が子(一子)に対するように、深く愛しみ、見守ってくださっている)
阿弥陀さまの方から、いつでも、どこでも、平等に、慈しみと、そして時には私たちの苦しみを共に悲しんでくださって、私たち一人ひとりを、ただ一人の、かけがえのない我が子のごとく、すでに抱きしめてくださっておられるのです。
まさに「おかげさま」の人生
この阿弥陀さまの広大なお心、私たちに向けられた深い願いを知らされてみれば、私たちの人生は、目に見えるもの、見えないもの、そのすべてのご縁によって支えられ、生かされている、まさに「おかげさま、おかげさま」でありました、と、深くうなずかせていただくばかりです。