ホタルの光に照らされて

六月の夜のホタル(ある方のお話)

以前、ある方から、こんなお話を聞かせていただいたことがあります。 梅雨入り前の、少し蒸し暑い六月のある夜のこと。ご自宅でくつろいでおられた時、奥さまが窓の外を指して、「ねえ、あれ、なに?」と不思議そうに尋ねてこられたそうです。

その方の奥さまが指さす方向を見ると、ホタルが一匹、暗闇の中を淡く、しかし美しく光りながら、ゆっくりと漂うように飛んでいたといいます。「あれはホタルだよ」とその方が答えると、奥さまは「へぇ、これが…。生まれて初めて見た。 とても綺麗ね」と、しばらくの間、その小さな光から目が離せない様子で見とれておられたそうです。

その方の奥さまは、いわゆる都会生まれの都会育ちのため、それまで実際にホタルを見たことがなかったのです。そのお姿に感動する奥さまの隣で、その方は、「私の幼い頃はね、家の周りの田んぼや小川にも、もっともっと、数えきれないくらいいっぱいいたんだよ」と昔の話をされたそうです。そして、その時にふと、ある大切なことに気付かせていただいた、と仰っていました。

便利さと失われたもの

そのお話を聞いて、私たちが失ってきたものについて考えさせられました。いつの間にか、私たちの周りからホタルの姿が減ってしまったのはなぜでしょうか。それは、私たち人間が、生活排水などで川や田んぼの水を汚し、ホタルが住めないような環境を、知らず知らずのうちに自ら作り出してきてしまったからに他なりません。

洗濯用の洗剤や、田畑に撒かれる農薬など、私たちは自分たちの暮らしをより快適に、より便利にするために、様々なものを使ってきました。私たちの生活は、ほとんどの場合、「自分にとって都合が良いか悪いか」「損か得か」ということを判断の基準にして、成り立っています。その結果として、ホタルという小さな生き物が住処(すみか)を奪われ、その美しい光を見る機会が、私たちの周りから失われていっているのです。

「十方の衆生よ」というよび声

しかし、そのような私たちに対して、阿弥陀さまは「十方の衆生(じっぽうのしゅじょう)よ」と、常に喚(よ)びかけてくださっています。「十方の衆生」とは、文字通りには「あらゆる方角の、生きとし生けるものすべて」という意味です。

つまり、阿弥陀さまの眼(まなこ)からご覧になれば、人間も、動物も、虫も、草木も、そこに何の分け隔てもありません。ホタルも、そして、そのホタルが住めない環境を作ってしまっているこの私も、等しく阿弥陀さまが救おうと願われる対象なのです。すべての命を区別することなく、まるで我が子に対するように、平等に救いとろうとされるのが、阿弥陀さまのお慈悲のお心です。

お慈悲に照らされる私のすがた

その、すべての命を分け隔てなくご覧になる阿弥陀さまのお慈悲の光に抱かれたとき、他の命を傷つけ、その苦しみに無自覚に目をつむり、ただ自分の都合ばかりを優先して考えている、この私の身勝手な姿が、はっきりと照らしだされてきます。

阿弥陀さまのお心を聞く

美しく光る一匹のホタルのお話は、図らずも、私にそのような阿弥陀さまの広大なお心の一端を気づかせてくれる、尊いご縁となりました。

この上は、日々の暮らしの中で、「すべての生きとし生けるものよ」と、分け隔てなく喚びかけていただく阿弥陀さまのお心を、共々に、繰り返し聞かせていただく身でありたいと思います。

-法話