帰依処

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人生は旅に譬えられます。
一人として同じ旅(人生)はありません。自ら歩みをすすめることによって、
世界は開け可能性は大きく広がり、新たな世界(視野)が見えてくるのであります。
まさに人生をパイオニアのように進んでいく人を、世間では唱讃され、
歩みをやめた人・または都合により辞めざるを得なかった人を人は、脱落者・敗者として
レッテルをつけているように思います。
どちらが良い・悪いという話をしているのではありません。
私が伝えたい事は、両者ともやがて旅は終わるということです。
であるならば、命終えるその先に、旅の帰依処(帰るべき場所)はすでに
お持ちでしょうか??
いつか旅は終わります。一生懸命に先に進もうが、休もうが刻一刻とその時は
等しく我々に忍び寄ってきます。進んだものが休んだものを悪く思おうが、
休んだものが先を羨ましく思おうと、「終わり」から逃げようとも背を向けようとも
いつかは捕まります。それは、この世に生を授かったときから、何一つ変わりません。
スタートも一緒、ゴールも一緒。けれども私は勝った・負けたと一喜一憂するばかりで
旅の本質が見えなくなっているようです。
この旅(人生)の本当の目的はなんでしょうか。何に出会えたら・得たら満足できますか?
是非、手を合わせて考えてみましょう。走ってばかりじゃ気づかないことも多いでしょう。
先に進もうと思うあまり、周りが見えなくなることだって沢山ありますし、大切なものを
見落としてきたこともあるんじゃないですか?大なり小なり思い出されます。
是非、手を合わせてお聴聞してみてください。先立った方々の遺訓に訪ねてみましょう。
「前に生まれた者は後に生きる人を導き、後の世に生きる人は先人の生きた道を問いたずねよ」
と中国の道綽(どうしゃく)禅師(562~645)が著した『安楽集』の言葉です。
なんの為に生まれてきたのか、この世に生を授かった意味を!
勝った・負けたの一喜一憂に左右されるんじゃない、この我が人生の帰る場所が何処なのか。
そして、先達の方々が待ってくれている世界を、我が帰依処としたいものです。
旅行が楽しいのは、帰る家があるから楽しいのであって
帰る家がなければ流浪・放浪といい、一日が心底楽しめません。
若くて元気で健康ででるときは、心配ないでしょうけれど、
やがて考えなければならない時が来ます。
その時は、お寺でお話を聞いてみてください。

-法話

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