4つの私

自分の見方に4つの視点がある。それが、上の図に示した4つである。
①私が知っていて、他人が知る私
②私だけが知っていて、他人が知らない私
③他人が知っているのに、自分が知らない私
④自分も他人も知らない私
この4つがある。①について、みんなに見せていて他人にも良く見られている所でしょう。
②について、私だけ知っている他人には見せられない、黒い自分でしょう。
③について、「陰口」という言葉があるように、自分の影の部分。自分は知らない所。
本当のことでも言われると腹がたつ。嘘でもお世辞なら喜ぶようなところでしょう。
④について、これは心当たりがあるでしょうか??
自分も他人も知らない私です。仏教の専門用語に阿頼耶識と言われる事がありますが、
それとは違います。違うので、知りたい人だけ見て貰えたらと思います。
自分も知らない、他人も知らない自分の側面があるのです。
それは、自分でも気づかないほど黒い部分でもあり、いい部分でもあります。
また他人にも気づかれない影の部分でもあり、明るい側面でもあります。
このように4つの私という人物像は誰にでもあるのですが、分からないけれどもあるのです。
これを分かりなさい、知りなさい、直しなさいという話ではありません。
そのまま聞いて「あぁ、4つの側面があるんだなぁ」と思ってもらえるだけでいいのです。
何が言いたいのかというと、阿弥陀如来さまが一切衆生、この私を目当てとして救うという話は、
自分が気づきもしない善悪までをも包み込んでくださるということです。
①のような、自他ともに認められる「あなた」
②のような、人知れず頑張っている「あなた」
③のような、人に陰口言われ、腹を立てる「あなた」であっても
④のような、どのようなあなた、それが良かろう・悪かろうというのではない。
すべて、そのままの「あなた」を救う仏さまなのです。
「南無阿弥陀仏」のお念仏は、私が助かろうと称えるのではありませんでした。
阿弥陀如来さまが、必ず「あなたを救う」というはたらきが、今ここに届いている姿でありました。

-法話

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