悲しみの中に華やぐいのち

歌人 岡本かの子のうた

年々(としどし)にわが悲しみは深くして いよいよ華(はな)やぐ命なりけり

この歌は、昭和13年(1939年)に、47歳という若さで亡くなられた歌人であり小説家でもある、岡本かの子(おかもと かのこ)さんの残された歌であります。

年を重ねるごとに、私の悲しみはますます深くなっていく。しかし、それに反比例するかのように、私の命は、ますます華やかに輝いていくのだ、と詠われています。一見すると矛盾しているようですが、これは悲しみが深いほど、逆に命が輝きを増していくのだという、不思議な喜びをうたった歌なのです。

悲しみへの私の向き合い方

けれども、翻ってこの私はどうでしょうか。人生で悲しいこと、苦しいことに出遇った時、「なぜ、私だけがこんな目にあわなければならないのか」と、つい不平や不満の声が出てしまいます。岡本かの子さんのように、悲しみの中から命の輝きを見出すどころか、悲しみや苦しみに打ちひしがれ、自分の殻に閉じこもってしまうのが、私の常ではないでしょうか。

誰も逃れられない苦しみ

お釈迦さまは、私たち衆生(しゅじょう:生きとし生けるもの)が抱える根本的な苦しみは、「老・病・死」であると教えて下さいます。そして、この苦しみからは、この世に生まれた以上、誰も逃れることはできないのだ、とも。

一年、また一年と、私たちは確実に年をとってゆきます。けれど、なかなか自分が「老いている」という実感は湧きにくいものです。それどころか、白髪が増えた、歯が抜けた、目がうすくなってきた、足が、腰が、手が痛い、言うことをきかない、と、老いによって変化していく自らの体に対して衰え、壊れてゆく我が身の事実を、なかなか素直に受け入れることができないのが、私たちの現実であります。

そして、長生きすればするほど、避けることができないのが、親しい人、愛する人との、死による別れであります。

苦しむ衆生への阿弥陀さまの願い

阿弥陀如来さまは、そのような悲しみ、苦しみの中に右往左往し、感情(情)有るがゆえに悩み苦しんで行かなければならない私たち衆生をご覧になり、とても放っておくことができずに、「この者たちを必ず救う」と誓いを立てられ、今、この瞬間も、私たちのためにはたらき続けてくださる仏さまです。

岡本かの子さんは、深い悲しみの中で、「いよいよ華やぐ命なりけり」と歌われました。それは、もしかしたら、悲しみに出遇えば出遇う程、むしろ、阿弥陀如来という仏さまが、他の誰でもない、この私一人のために、どれほどのご苦労を重ねてくださったのか、その広大なお慈悲を思わずにはいられなかった、ということではなかったでしょうか。

いつも共にある親さま

阿弥陀さまは、この私のことを、我が子として、一時も忘れず、案じ続けてくださる、そういうお慈悲の親さまであります。その親さまが、「南無阿弥陀仏」という声となり、お名前となって、常にこの私の命を支え、見守ってくださっています。

その親さまが、いつもこの私と共にいてくださる。一人じゃなかったのだ、と。そのことに気づかせていただくとき、私たちは、深い喜びと安心感をもって、この人生を歩んでいくことができるのです。

-法話