カレンダーに記された日々
私たちは日々の暮らしの中で、カレンダーに記された日付と共に生きています。新しいカレンダーを手に取ると、これから訪れる一年365日、どの日も自分にとって素晴らしいものであってほしい、一日一日を大切に過ごしたいものだ、と誰もが願うのではないでしょうか。私たちの人生にとって、どの日も大事な、かけがえのない一日であるはずです。
しかし、世の中に出回っているカレンダーの中には、残念ながら、「この日は悪い日(仏滅など)」「この日は善い日(大安など)」と、日そのものに吉凶のレッテルを貼ってあるものがあります。
暦の吉凶はどこから?
そもそも、カレンダーに書かれている「仏滅(ぶつめつ)」や「大安(たいあん)」といった「六曜(ろくよう)」は、いつ頃から始まったのでしょうか。
江戸時代、暦(こよみ)を作って売る業者がたくさんいました。彼らは、どうしたら自分の作った暦がより多く売れるか、と考えました。そこで思いついたのが、今でいう六曜のような、一種の占いを暦に載せることでした。しかし、このような根拠のない占いが庶民の間に広まり、混乱が起きることを恐れた当時の幕府は、これを「おばけ暦(こよみ)」(いんちきな暦)として、取り締まりました。
明治時代になり、太陽暦が採用されると、新政府もまた、この「おばけ暦」を迷信であるとして厳しく取り締まりました。しかし、一部の業者は、それでも儲(もう)けのために六曜などを載せた暦を作り続け、それが今日まで残ってきてしまったのです。つまり、仏滅や大安などの六曜は、仏教とは全く関係のない、後世に作られたものなのです。
親鸞聖人の嘆き
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、当時の人々が、日の吉凶や占いに振り回される姿を見て、大変深く嘆き悲しんでおられた、と伝えられています。
親鸞聖人は、お手紙などの中で、「物事を行うのに、時や日に善(よ)し悪(あ)しがあると言っては、日を選んだり、方角の吉凶を気にしたり、根拠のない占いばかりにこだわっているのは、ほんとうに悲しいことです。」という趣旨のことを、繰り返し述べておられます。
人生を決めるもの
私たちの人生の幸・不幸を決めるのは、暦に書かれた吉凶ではありません。言うまでもなく、一日一日の「私」自身の生き方、あり方です。
しかし、そうは分かっていても、私たちは弱い存在です。根拠のない迷信や占いの言葉に、心が揺れ動き、流されそうになってしまう私。周りの人の言葉や、世間の風潮に、すぐに不安になってしまう私です。
「心配ないよ」というよび声
阿弥陀さまは、そのような私の弱さ、愚かさをご覧になり、深く悲しみつつも、決して見捨てることはありません。「心配ないよ、私がついている。ただ、この私にまかせなさい」と、常にはたらきかけ、よび続けてくださっています。その阿弥陀さまのはたらきが、声となったものが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。
阿弥陀さまと歩む人生
根拠のない暦や占いに自分の人生をまかせるのではなく、阿弥陀さまの「心配ないよ、私にまかせよ」というよび声を聞き、お念仏もうして、阿弥陀さまと共に、この確かな人生を歩ませていただきましょう。