南無の一声

宗祖親鸞聖人とともに第8代蓮如上人を中興の祖として仰がさせていただきます。
蓮如上人の御在世当時は、本願寺教団は今のように大きいものではありませんでした。
しかし、各地に伝道布教をして、日常勤行に正信偈(正信念仏偈)をすすめ、名号「南無阿弥陀仏」と
書かれた紙を全国各地の門信徒にお配りしました。また、お手紙をたくさん書かれていることも
全国にご法義を伝えられた手法となりました。
蓮如上人から、南無阿弥陀仏と書かれた本尊を安置し、文字が読める人が代表となり、多く集まった門信徒の
前で手紙を拝読され、そしてみなさんで正信偈をお勤めされたのでしょう。それらのグループがやがて
お寺となり各地でご法義が広まっていたのであります。
また、たくさんの方々が集まれば、お茶などをみなさんで飲まれたりしたのでしょうか。
地域のコミュニティーの1つとなっていたのかと想像できます。色々集まって話をしていると、
先ほどの手紙の内容について、各々意見が出てくるでしょう。それらお互いに話し合い、談合しながら
阿弥陀如来さまのお話を楽しみながらされていたのかと思うと、とても面白ろそうです。
そこで疑問が生まれたならば、蓮如上人にお手紙を出すわけです。そうやって、
手紙のやり取りをする内に、全国各地に浄土真宗のご法義が伝わったのであります。
今での蓮如上人のお手紙が200数十通残っています。ご先祖の方々が、どれだけお手紙を
大切にされていたのか良く分かります。
大切なお言葉だったからこそ、捨てずに保存されたのでしょう。
また、子や孫も大切なものだからこそ、親の残したもの(心)だからこそ、代々継承されたのでしょう。
時代や文化が変わり、科学が進歩した今でも、私たちの苦悩・老病死は変わりません。
その道筋を完結にお手紙に残されたのであります。
一通ご紹介すると
「ことのほか病気にをかさるるあひだ、耳目・手足・身体こころやすからざるあひだ、
これしかしながら業病(老衰)のいたりなり。または往生極楽の先相なりと覚悟せしむるところなり」
とお記しくださっています。
「病気がちになり、眼鼻耳舌身と身体のいたる所に問題が生じてくる
ことは、老化のためであり、自然の理です。しかし、悲しむばかりではありません。
これらの症状が表れたということは、往生極楽に参らせていただくご縁が近くなったことなので、
覚悟していかなければいけません。」
とあるのです。
覚悟していく・・・とは、どういった心でしょうか。考えてみますと、「覚悟して望まなければ
お浄土参りができません」と言っているのではありません。
「どれだけ若くて・健康が良いと言っても、やがて手放さなければならないのですから、
はやく仏教の話を聞きましょうよ。」と語りかけてくださっているように思います。
「大丈夫、お浄土でまた会えるよ」という事が、一番のメッセージではないでしょうか。
いつ何時、我が身の上に何がおこるか分かりません。しかし、いつ何時であろうとも、
「私がおるぞ」と常に呼びかけ、「安心せよ」とはたらき続けてくださる阿弥陀如来様の
たしかな御慈悲です。我が力で、老病死を越えていくのではありません。
我が力で越えられないと、見抜いてくださった阿弥陀如来様だからこそ、私のために
ご準備くだされた「南無阿弥陀仏」のお念仏でありました。
最後に、この言葉を紹介して終わります。
「極楽は 十万億土と 聞くなれど 近道すれば 南無の一声」
一声・一声のお念仏の中に、多くの方が残された、命の帰る場所(浄土)が示されています。

-法話