五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方

(意訳)五劫もの長い間、思惟してこの誓願を選び取り、名号をすべての世界に聞こえさせようと重ねて誓われたのである。
(書き下し)五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらく名声十方に聞えんと
語句の解説から申しましょう。
五劫とは、ものすごく長い時間を表しています。「劫」は、天女が3年に1度(諸説あり
100年とも言われる)地上に舞い降りてきて、40里(157キロ)に相当する、巨大な岩を
羽衣の裾で撫でて磨耗により消滅させるまでの時間といわれる。
つまり五劫なので5倍の時間がかかる訳でありますが、真に受けてどれくらい
時間がかかったのかを明らかにするお言葉ではありません。
なぜ五劫もの間、思惟(考え)される必要があったのか???
「すべてのものを、等しく救う」善人も悪人も、あの人も・あの人も、全員が救いの
対象であります。いつでも・どこでも・だれにでもも救いの働きなので、今・ここで・
私の救いの働きでありました。その私が救われるために、五劫もの果てしない時間、思惟する
必要があったんですね。「それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼし
めしたる本願のかたじけなさよ」と親鸞聖人がおっしゃられています。
私も、その姿を見て、改めて自分の業の深さをおしえて頂いているように思えます。
(難しくなります)
五劫思惟して、兆載永劫修行して法蔵菩薩は阿弥陀仏となります。
その五劫思惟して摂取した後の、「重誓名声聞十方」について触れてみます。
書き下しでは「重ねて誓うらく名声が十方に聞こえんと」とあります。
このお言葉と、重誓偈が関係しているんですね。
我至成仏道 名声超十方 究竟靡所聞 誓不成正覚
「われ成仏道に至らんに、名声十方に超えん。究竟して聞ゆるところなくば誓う、正覚をならじ」
とあります。
親鸞聖人のお記しになられた「正信偈」は自らの考えで作られた書物
ではありません。高僧方の説を信じ、私が救われる唯一の道を示されたお書物なのです。

-正信偈