帰るべき所

このような話を聞いたことがあります。その方は転勤が多い家庭で育ったので、
「ここぞ故郷」といえるような場所はなかったようであります。
大人になり働き始めた頃、仕事にも慣れてきたので長期休暇を利用して、
都会から両親の住んでいる山口に帰る時の事でした。
会社での仕事が終わり、社内の片付けをしていると、どことなくこれから迎える「長期休暇」の
事で、社内の雰囲気はどことなく賑やかでした。周りの話している内容は、
「この休みで家族サービスで熱海に行く」とか、「学生時代の友人と海外に」とか
この休みをどのように過ごすのか、また行けないものは話だけでも聞いて
その雰囲気を味わっているようでした。
聞き耳を立てながら片付けていると、上司に呼び止められました。内心
「やばい、変なことじゃないといいけどなぁー」と思って、返事をすると
「仕事お疲れ様。慣れない事も多いだろうけど、大丈夫か?」
と、悪い話じゃなさそうなので一安心。
私「お陰様でなんとか大きな失敗もなく、先輩方に助けてもらっています。」
上司「そうか、そういえば初めての長期休暇になるけれど、きみはどうするの?」
私「はい、両親が住んでいる山口まで会いに行こうかと思っています」
上司「そうかー。でも君の実家って山口だったんだね。」
私「いいえ、故郷ってわけじゃありません。父が転勤族だったものですから、
私には故郷と呼べる場所がないんです。恥ずかしい話、山口の家には初めて帰るんです」
上司「それは良かったねー」
私「???えっ!?故郷がないというのに、良かったとは、どういう事ですか??」
上司「あぁー(笑)きみは初めてその山口の家に行くのに、帰るって言っただろ?
どんな所かも分からないけれども、どことなく安心できる場所なんじゃないかな。
それは、どんな場所であろうとも、きみの事を待っていてくれる人がいるからじゃないかな。
それはお父様であり、お母様でもある。きっと転勤族で、いろんな場所で過ごされたんだろうけれど、
どこに住んでいようとも、きみは家に帰ると、『ただいま』と言えば『おかえり』と返して
くれたんじゃないかな。きみは故郷がないと言ったけれど、帰る場所があって良かったじゃないか」
私「はぁ~。ありがとうございます」
その時は、よく分からなかったのですが、山口までの電車に揺られながらずっと昔のことを
思い出しました。いつも転勤ばかりで、仲良くなった友達とも別れなければいけない時に悩んでいた時、
玄関で「ただいま」と言った私を、「おかえり」と言ってそっと抱きしめてくれた母でした。
おそらく転勤ばかりで父は職場でのやり取りや付き合いは大変だったでしょう。
母も、転勤ばかりだと仲良くなる友達のきっかけも、私以上に少ないでしょうし、
家で一人で考えることも多かったでしょう。けれども、私にはそんな姿を一切見せず、
いつも私の帰りを待っていてくれていたのです。ただ一言「おかえり」という言葉をいうために、
私を家で一人さみしくさせないとした母なりの思いだったのでしょう。
そんなことを考えていると山口に到着して、予め連絡されたように道を進んでいきました。
見知らぬ道ですが、どことなくワクワクしています。
初めて見る風景、初めてみる家です。
呼び鈴をならして、名前を告げると鍵が開きました。
「ただいま」「おかえり」
いつもと変わらない何気ないやり取りですが、ここが私の帰る家だと「上司の言葉」が
その時やっと分かりました。
私たちは、1日の営みを終え、この身の安らぎを、帰るべき家に求めて、明日への糧とします。
私たちは、このいのちを終える時、帰るべき浄土に生まれ、再び迷うことのないいのちが恵まれています。
阿弥陀さまは、私が迷いの世界に落ちるべきいのちであることを悲しみ、かならず浄土に生まれ
させずにはおれないと、「南無阿弥陀仏」と届いてくださいました。
私たちは、絶望・悲歎・不安にくれる死にゆくいのちではなく、
希望・歓喜・安心の心を与えられる。浄土に生まれ往くいのちが、今恵まれているのです。

-法話