無辺の生死海を尽くすはたらき

親鸞聖人の主著『教行信証』の最後には、この言葉が引用されています。
真言を採り集めて、往益を助修せしむ。いかんとなれば、
前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ、
連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。
無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり(安楽集)
世間では「死んだら終わり」と言われますが、それって寂しくないですか?
先日も有名人の松方弘樹さんが亡くなられ、ご友人の梅宮辰夫さんがインタビューで「死んだら終わり」と言われました。
その言葉に込められた思いは、どれほどのものか分かりません。第一線で活躍して、若いときから俳優として切磋琢磨していった
仲間だからこそ受け入れられない思いが、このような気持ちになったのでしょうか。
私は、お浄土に生まれ仏となると聞かせて頂いています。死んだら終わりとは、他人だから言えることであって、
それが自分の家族や大切な人ならとても言えません。
阿弥陀様は、すべてのものを救いたいと仏様となられました。
私の上にも「あなたを必ず仏にするよ、必ず浄土に迎えとるよ」と、阿弥陀様はいらっしゃるんですね。
私が孤独に悩み苦しむ時も、仏様は見捨てることはありません。私が気づくよりも前から、
阿弥陀様がこの私を仏にすると目当てとしてくださっているのです。
命終わるその時に私は仏になり、そして残されたものと繋がっていける世界がある。
共に一緒に人生を歩んでゆけるものであるとお示しくださってあります。親鸞聖人がお書物『教行信証』の最後に
この言葉を引用されたのは、死んでおわりじゃない。先立っていかれた方と、残された者の「導く者と導かれる者」の
関係をよろこんでいかれたと味わっています。
死んだら終わりという寂しいものではありません。
もう2年前、86歳でお浄土に参った、私の父方の祖父・おじいちゃんの姿から教えて貰えたことがあります。
おじいちゃんとは、小さい頃はよく遊んでもらったり、工作なんかを一緒に作ったり、ずっと一緒にいました。
祖父の日課は、朝早くに夏でも、寒い冬でも自分で御仏飯を用意して、1人本堂で正信偈をお勤めしていました。
本当にお念仏をよろこんでいた姿が懐かしく思います。
また祖父は境内の掃除と畑作りが毎日の日課で、その合間にお茶を飲みながらタバコを吸っていました。
晩年まで、そんな祖父の回りにはいつもゆっくりした時間が流れていました。けれども、そのゆっくりとした時間も
少しずつ少しずつ変わってきて、4年前、祖父の身体に異変が起こりました。咳が出るので病院で見てもらったのですが、
なかなか良くなりません。大きな病院で見てもらい色々と検査をしますと、病気が見つかりました。肺のがんでした。
お医者さんから色々と話しを聞いたようですが、手術はせずに家で過ごすことを選びました。
今思えばいつもどおりの生活でタバコが吸いたいっていう思い以上に、最後は家で過ごしたかったのでしょう。
その頃でした。私が山口県内の若手の僧侶の布教実演会があり、私も初めて実演させて頂く機会がありました。
祖父もお聴聞に来ました。私の父も布教使なので、その日は珍しく親子三代でお聴聞しながらおりました。
大きなお寺だったのですが、会場は人でいっぱいです。私は、あまりの人の多さに緊張してしまい、布教実演の最中に、
ふっと父の方を見てみてると、父も私の緊張がうつったように笑顔はありませんでした。それを見てしまい私の緊張はさらに
大きくなりました。自分でも何を話しているか分からないのですから、お聴聞される方もだんだんと笑顔がなくなります。
そこで目に入ったのが私のおじいちゃんでした。なぜかおじいちゃんだけはニコニコっと聞いていました。
自分でも何を話しているのか分からないのですから、おそらく祖父も理解はしていなかったことでしょう。
けれども、祖父は私を見てニコニコと頷いてくれていました。
なぜあれほどまでニコニコとお聴聞できたのでしょうか。祖父は何をよろこんでいたのでしょうか。
祖父から見えれば息子にも孫の上にも、そして祖父自身の上にも、間違いなく南無阿弥陀仏と出遇わせて
頂いていると思ったから。もっと言うと、会場のお参りされている方々全体を見て、ニコニコしていたんでしょう。
自分だけが命終えるのではない、みんなやがて命を終えていくけれど、決して別れじゃなく、一緒にお念仏の道を
歩んでいるから、みんな必ずお浄土で会えるとよろこんだのでしょう。
前でたどたどしく話をしている私を通して、阿弥陀様の大きなはたらきを感じていたのでしょう。
阿弥陀様は「心配しなくていいよ、必ず救うよ、あなたも。あなたの大切な人もお浄土でまた会えますよ」と
南無阿弥陀仏ともう届いています。
がんを患い、死を覚悟する中に、安心して命を終えていける世界をよろこんでいたのでしょう。
だから祖父の表情はニコニコっと表れ出ていたのでしょう。
最近になり、祖父の気持ちになって考えることが出来ました。
以前は「話をする孫の私」が可愛いからお聴聞に来たのかと思っていました。
でも、それは孫が可愛いからという単純なものではなく、自らの病気よりも、私(孫)の命の行く末を心配したのでしょう。
阿弥陀様の同じはたらきの中に祖父も・私も同じ人生を歩んでいるから、一つのはたらきの中でつながっていける。
私が祖父の病気を心配するよりも、祖父はもっと深い所で私の命の終わりまでを心配して、お聴聞を選らんだのだと味わっています。
その笑顔は、親子3代でお聴聞できた最初で最後の機会でした。86歳でお浄土に参らせて頂きました。
今はなき祖父は、どうなったのでしょうか。会話することも、触れることも出来ません。けれども、遠くにいっただけとは
感じられません。身近に感じるんですよ。
「無辺の生死海を尽さんがため」とは、無辺とは、辺(ほとり)がないということ、この世界に仏様から逃げる場所は
ないということです。つまり、仏となったからには、阿弥陀様のお手伝いの為、この世界に還りきて導くことから、
はたらきが始まります。祖父もまた同じで、先に仏となったからには、この世界に還り来て私を導く尊い仏さまとなったのです。
仏となればこそ、もう私たちは別れではなく、南無阿弥陀仏とお念仏称えて、今、共に同じお浄土への人生を歩ませて頂くのです。

-法話