請求書

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阿弥陀様は、この私をけっして見捨てない仏さまです。それは私の側になんの条件も付けません。
「賢くなれ、善人になれ、じゃないと救わないぞ」というお心でなく、そのままの私を救うと仏となられました。
いうなれば、見返りを求めない仏さまと言えるでしょう。
阿弥陀様のお心を、このような例え話でよくご法話がされます。(仏教の話)
これは母親と、その子どもの話です。(聞いた話なので子どもの名前を甥っ子の「だいちゃん」としましょう)
このたとえ話は、親と子の関係・感情の話ですが、それは母親が仏というのではなく、「見返りを求めない」という阿弥陀様の
お心を譬えた例話であって、お母さんが「仏さま」と同じというものではありません。
これは見返りを求めないというお心を、親子の関係からお話します。
あるとき、だいちゃんが学校へ行く前に、なにやら大事そうに紙にメモをしていました。
そして、いつものように「いってきまーす」と元気に学校へ出発しました。
だいちゃんを見送ったお母さんが、ふとテーブルに目をやると見慣れない紙が置かれていました。
それを見てみると、だいちゃんの字で、丁寧にこのように書かれてありました。
請求書(勘定書)
・お風呂洗いを手伝いした代金   100円
・妹の勉強を教えてあげた代金   100円
・お母さんの肩たたきをした代金  100円
(あと二つほど書かれてあり)
計 500円
と、このように書かれてありました。きっと先程一生懸命に書いていたのは、この紙だったのでしょう。
最近、お手伝いを積極的にしていたのは、この何か500円に使いたいものがあったのでしょう。
だいちゃんは、500円を「おもちゃ」でしょうか!?何かを買うために、一生懸命にお手伝いをしたのでした。
その思いにお母さんは、その請求書の上に500円玉を置いておきました。
夕方になり、だいちゃんが帰ってきました。「ただいまー」
いつものように元気な声で帰ってきただいちゃんですが、やっぱり「あの紙」が気になったのでしょう。
一番に「あの紙」を置いたテーブルにやってきて、500円玉が置いてあることに気が付きました。
とても喜んでいるようで、紙と500円玉を持って、部屋に荷物を置きに入っていきました。
次の日です。いつものようにだいちゃんが学校へ行く準備をしていると、またテーブルに自分が書いたものとは違う
請求書が置かれてあるのに気が付きました。それはどうやらお母さんからの請求書(勘定書)でした。それには、
請求書
・だいちゃんが風邪になった時に看病代・薬代  0円
・だいちゃんが学校へ行くときの制服代      0円
・だいちゃんが昨日の夜食べた晩御飯代     0円
・だいちゃんが遊んで帰ってきた服を洗う代金  0円
・だいちゃんが生まれてから今までかかったお金 0円
計  0円
と、このように書かれてありました。すべてかかった費用はだいちゃんには0円とあったのです。
これがお母さんから、だいちゃんに対する見返りを求めない心です。見返りを求めないから0円(タダ)なのです。
これが、阿弥陀様の心です。
「かならず救う!我に任せよ」と阿弥陀様は私の上に、必ず救うぞとはたらいてくれています。
それは、あなたの生き様は問わない、そのままを救うよと、いつも私と共にご一緒くださるのです。
このお母さんとだいちゃんの例え話は、見返りを求めないという事を「請求書」という形で表しました。
世の中のお父さん・お母さんがすべて「こうであるべきだ」と言っているのではありません。
やはり子育ての中には、思い通りにならなくて、また辛く・悲しいときもあるでしょう。自分を責めてしまうような
心になることもあるでしょう。それは、我が子の親であると同時に、また自分も人間である。けっして完全ではないという事です。
ロボットではないのですから、子どもも自分も思い通りにならなくて当然です。ロボットなら面白くないですよね。
さて、阿弥陀様から私をご覧になると、「かならず救うよ」というお心であり、私に見返りを求めない仏さまであるとお話しました。
さて、この「だいちゃん」500円をもらいましたが、この後どうしたでしょうか。
ここまでが私が聞いたことがある話です。
きっとお母さんからの請求書を見た時に、嬉しかったんじゃないかと思います。
風邪で苦しい時に看病してくれた、いつも心配して見に来てくれた。今着ている服も、
いつもキレイに洗濯してくれるお母さんがの思いが、一つひとつに込められていた事に気が付き、嬉しくなったんじゃないでしょうか。
反対に、自分の請求書を思い出して「恥ずかしくなった」のかもしれません。
自分のした行いは、お風呂掃除・妹の面倒を見る・肩たたき、それはすばらしい事だと思います。
けれども、それ以上にお母さんのほうが、自分が生まれた時からずっと面倒を見てくれていた、
見返りも求めずに、ずっと一緒だった。もっと言うと、お腹に命が宿った時からお母さんはずっと一緒だったと気づいたんじゃないでしょうか。
これは私の想像ですが、お母さんの「請求書」を見て色んなことを感じ取れたんじゃないかと思うんです。
自分は500円を請求したのに、お母さんは何一つ自分に請求してこなかったと気づいた時に、
だいちゃんは嬉し気持ちと、恥ずかしい気持ちになった事でしょう。
さて、500円を貰っただいちゃんですが、この後、どうしたでしょうか?
みなさんだったら、この500円をどうしますか??考えてみてください。
・・・・・答えはありません。
阿弥陀様のお心は、「あなたをそのまま救うよ、必ず救うよ」といつも私たちとご一緒くださる仏さまです。
それは、生まれたばかりの命の上にも、おじいちゃん・おばあちゃんの命の上にも、仏さまのことを忘れてしまってもです。
その御心に気づかせて頂いた私たちは、どのように過ごすべきでしょうか。
それが、この例え話の500円をもらっただいちゃんの生活の変化、
それが私たちが阿弥陀様のお心を聞かせて頂いた念仏者としての生活の有り様なのです。
好き勝手に生きるのではなく、そのお心に叶う生活を日々送りたいものです。

-法話

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