おもてなし

2020年に東京オリンピックの開催が決定した時に、「おもてなし」という言葉が印象的でした。
確か流行語にもなったので、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
法事の後に、お斎(法事後の食事の名称)に呼ばれることがあります。大変有り難い事で、
そこで一層お互いの話を聞くことが出来るので、いつも楽しみにしています。
法事は土曜日・日曜日に行うことが多いので、午後からの予定などなければお斎の席についています。
また昼間っから色んな話が聞けて、お酒が飲めるというのは嬉しいものですね。
社会経験のない私にとって、色んな話は冒険に出るようなワクワクした気持ちでいっぱいです。
そのような楽しいお斎の席ですが、いつも暖かなおもてなしを頂きます。
このおもてなしというのは、いいものですね。気持よく食べれて、気持よく飲めて
最後の最後まで、とても楽しい時間を過ごさせて頂いています。
よくよく考えてみますと、この「おもてなし」の心があればこそ、私はその時間を
楽しく気持ちよく過ごさせて頂いているのでした。それは当然のことではありません。
この私のために、色々考えてくださったのでしょう。慣れないことで不安なこともあったでしょう。
それらすべて引き受けて、お斎の席をご準備くださったのであります。何も知らない私ですが、
私が行く時には、もう準備万端整っているのであります。
これは阿弥陀如来さまのはたらきにも通じる所があります。
「南無阿弥陀仏」とお念仏称えている私にとって、「どれほど苦労して準備したのか?」、
「何が準備されているのか」など知らなくても、ただただお念仏称えるそのままが、
救いに間違いがないのです。救いが今定まっているのです。
私が救われるには、どうしたらいいのか?
何も分からない私を見透かして、気づかぬ前からご準備くださった「南無阿弥陀仏」であります。
私はそれを頂くばかりでありました。
「おもてなし」をする時に、「楽しい時間を過ごして欲しいな」「喜んで欲しい」と思いましょう。
阿弥陀如来さまは、どのようなお気持ちで「南無阿弥陀仏」とご準備されたのでしょうか?
言い方を変えますと、仏となった両親が子どもを見守る中で、どのような思いでいるでしょうか??
「あなたを見守っているよ。抱きとっているよ。決して見捨てはしない。あなたも必ず仏とするからね」
「大丈夫。阿弥陀様がついてるよ。私と同じ仏となるんだよ。死んで終わる命じゃないのよ」
「だからお念仏称えてくれよ。ほら、念仏が届いているじゃないか。南無阿弥陀仏で救われるのよ」
「おもてなし」をされる側には、何一つ親さまのお心は分かりません。計り知れません。
けれども、その暖かなお心に気づいた時に、ただ有難く頂くばかりでした。
法事のお斎では、いつもご命日の方のお人柄などを聞かせて頂いています。
その時間を過ごさせて頂く時間を、私は楽しみにしています。

-法話

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