傘を捨てるのだ

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最近は雨が多くて思うように剪定作業が出来なくて困ってます。急に寒くなったので、
秋の終わりでしょうか。寒さが強くなる前に剪定を終わらせたいと思います。
雨が多いですね。朝は曇りだからといって傘を忘れないように。今頃濡れて帰ろうものなら、
すぐに風邪を引いてしまいます。せっかくの年末も風邪では台無しです。
天気予報を確認して傘を持って出掛けましょう。最近はコンビニなどでもすぐにビニール傘
が手に入るので助かっています。
今日のテーマは、「傘を捨てるのだ」ということですが、雨の中を傘を捨てる訳ではありません。
領解文の冒頭に「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて」とあります。
自力の心を振り捨てて・・・雨の中、傘を握る手を離せば、救われるーなんて教えじゃありません。
雨なのですから、傘を捨てたところで、天気になるのではありません。
雨は雨、傘を捨てても雨なのです。自力を捨てたところに救いがあるのではありません。
小学校の帰り道、親の傘をかりて、小さかった私が大きな大きな黒傘をさして下校しておりました。
友達と帰っていたのですが、友達が言うのです。もう雨降ってないよ!!
自分は大きな黒い傘をさしていたので、太陽が顔を覗かせていることにも気づかずにいたのでした。
友達に言われて、傘を手放してみると、大きな太陽が私を照らしていることに気づいたのでした。
傘を力いっぱい握りしめている時には気づきませんでしたが、すでに太陽は出ていたのです。
まさに傘を手放したから太陽が顔を覗かせた、手放したから太陽に照らされたのではありません。
太陽のほうが私を照らしていたから、私は傘を手放すことができたのです。
ここまでのお話で、この度の「傘を捨てるのだ」というご法義の意味を分かっていただけたでしょうか。
私の生きる人生で、私が・私がという自己中心的な生き方をする中で煩悩に眼をさえぎられた私でした。
阿弥陀如来さまの光明が、私を照らしてくださっていたことにも気づかずに、自力自力の人生を
歩んでいたのでした。
けれども、いつまでも人生自力で歩めるものではありません。やがて老病死に捕まり、
頑張ろうにも頑張れない、昔のようには自力で歩める人生ではありません。
これが人生なのです。自力でこの世を越えることなく、死を前にして越えられない
壁に打ちひしがられるのが、世の中の常であり、無常の命を今生きていることに気づきましょう。
けれども、虚しく終わる命ではない、私が大きな大きな傘に自力に頼っているから見えなかっただけで、
すでに太陽は私を照らしています。遠い昔から私めがけて太陽は照らしてくれていたのであります。
その大きな傘を捨てた時こそ、弥陀大悲の光明に気付かされるのであります。
「もろもろも雑行雑修自力のこころをふりすてて」
自力を捨てたところに、救いがあるのではありません。
すでに光照らされているからこそ、自力を捨てることが出来るのです。
私の側に救いの条件があるのではなかった。すでに阿弥陀如来さまが
ご準備くださればこそ、いつでも照らしてくださればこそ、自力を捨てることができるのです。
寒くなったので、みなさまお身体ご自愛ください。
どうぞ天気が不安定ですので、傘の準備もいいですが傘の忘れ物のないように!

-法話

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