8月2日、もうすぐ専明寺でもお盆参りが始まります。すでに気温は32℃になっています。
年々暑くなる中で、自分は暑さに弱くなっているようで、気合で乗り切るしかないみたいです。
恥かしながら少し弱音を言ってみました。
今日のタイトル「これでいいのだ!」この言葉、どこかで聞いたことありませんか?
本日8月2日は、漫画「天才バカボン」の著者である赤塚不二夫さんのご命日です。
この天才バカボンという漫画は、いたる所に仏教のエッセンスが散りばめられています。
詳しくは「赤塚不二夫 仏教」と検索頂ければ、解説されているサイトが出てくるでしょう。
(参考サイト バカボンのパパから教わる あるがまま」
「これでいいのだ」とは、ありのまま、あるがままに受け入れるという姿であります。
まさに阿弥陀様が私をご覧になったそのままの言葉じゃないでしょうか。
これは教育とは違います。教育ならば、「あれしなさい」、「これしなさい」「こうなりなさい」と
指示的方法で導き、育てることが教育かと思います。
一方、仏さまが私をご覧になるときに、「あれしなさい」、「これしなさい」「こうなりなさい」とは言いません。
なぜなら、出来ないことが仏さまには、最初から分かっているからなのです。
だから、阿弥陀という仏さまは、この私が救われる(仏になる)道をただ一つご準備くださったのです。
それが、阿弥陀様に任せる(帰依する)という方法です。私はわたしのままでいい、ありのままの姿で、
阿弥陀様にお任せるのが、私の方法なのです。このようにお経様に説かれてあります。
私が頑張っても達成できない修行を代わりにしてくださったのが、阿弥陀様です。
阿弥陀様が、私のために私の分までご修行くださり、そして私を仏とさせるためにずーっと、ずーっと働いてくださる。
阿弥陀という仏さまは、そのような仏さまなのです。
芸能人の「タモリ」さんをご存知でしょう。30歳の時に東京に出てこられて、赤塚不二夫さんのマンションを借りて、
過ごされていたことは有名な話です。そのタモリさんが、赤塚不二夫さんの葬儀の際に、白紙の弔辞を持って
このようにお話されました。
「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち
放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表
しています。すなわち『これでいいのだ』と」
この言葉にこめられた思い・思想を、そのまんま自分に当てはめることは難しいですね。
なぜなら生きていれば苦しいこと・悲しいこと、また理不尽なこと、怒りを堪えることなど沢山あります。
最初に、「夏は暑い」という事を分かりきっていても、不平不満・愚痴、どうしようもないけれど出てきます。
それが、私の姿なのです。私は聖人君子なんかではありません。
先ほどの言葉をよくよく考えてみましょう。赤塚不二夫さんの「これでいいのだ」という言葉を聞いて
タモリさんの心の変化に注視して考えてみたいものです。
タモリさんにとって、赤塚不二夫さんは大きな存在であったことに違いないでしょう。
そのような偉大な人が、「これでいいのだ」とおっしゃるのだから、タモリさんはその言葉に
安心できた、ほっとすることができたと想像できます。
苦しい時もある、腹が立つ時もある、けれども、「これでいいのだ」、赤塚不二夫という
偉大な人が、ただ一人でもこの自分を認めてくれている人があることが、人生の大きな
支えになったことでしょう。
「こうなりなさい」「あぁなりなさい」教育もいいですが、いつまでも教育の中では、人は限界を迎えます。
「ありのままでいい」と傍で認めてあげられる、支えられることが一番大切なんだと思います。
これでいいのだ!