ほとけさまのこころ

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仏さまのお心ってどんなお心だと思いますか?
ほとんどの人が想像をしたことがないかと思います。
山口県の詩人で「金子みすゞ」という方がいらっしゃいます。
「わたしと小鳥と鈴と」や「大漁」という作品は有名でご存じの方も多いかと思います。
彼女は、大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに
500余編もの詩を綴ったと言われます。また浄土真宗のご法義に触れた生活で、
作品の節々に仏さまのぬくもりを感じることができます。
金子みすゞの作品に、「さびしいとき」というものがあります。
 わたしがさびしいとき、よその人は知らないの。
わたしがさびしいとき、お友だちはわらうの。
わたしがさびしいとき、お母さんはやさしいの。
わたしがさびしいとき、ほとけさまはさびしいの


このように歌われています。東日本大震災の時にCMで流れていたこともあります。
こ詩の限られた表現の中で、ほとけさまのお心を明らかにされています。
わたしがさびびしときに、ほとけさまさびしいの。この一言に尽きます。
先日、大切なご家族を亡くされたご家族のお葬式に参りました。
四十九日の満中陰を迎えるまでに毎週お経を読んでお話をするのですが、
そのご主人が
「今は、こうやって前を向こうとして頑張っているけれど、四十九日を過ぎても悲しんでいたら、
むこうも悲しむだろうな。だから頑張らないと」
言葉とは反対にそんな自信があるようには見えないようで、深く悲しまれているご家族に向って
私は返す言葉はありませんでした。ただただ「そうですね」としかお答えできませんでした。
金子みすゞは、どのようなお気持ちでこの作品を作られたのでしょうか。
さびしい・さびしい・さびしい。何度も寂しいという気持ちを表現する中で、
不思議と孤独感は感じられない。かすかにぬくもりを感じられるかと思います。
前二句では、私と他人の話ですから、どれだけ寂しく・悲しくても何の役にも立ちません。
けれど、「お母さんはやさしいの」という言葉から一転します。
ぬくもりです。私の辛い心までも温かく包み込んでくれる家族を感じられます。
そこで終わらないのが、浄土真宗のお話を聞かれたお方ならではです。
目に見える家族だけではない。見えないけれど、大きな存在が私の事を包み込んで
くださる。ほとけさまが、いつもそばで見守っていてくれているお心に
「けっして私を孤独にはさせない」と見守っていてくださる存在です。
「頑張れ」、「はやく元気になれ」とは言われません。
ただそばに寄り添って、一緒に泣いてくれているのです。言葉には変えられない、
ただそばにいてくれるだけで、安心できる存在ってみなさんもありませんか??
お参りの話に戻りますが、先立って往かれた方は、仏さまとなられたので、
金子みすゞの詩のように、この私の姿(泣き・笑い・喜び・悲しみ)をご覧になっては、
同じように泣き・笑い・喜び・共に悲しんでくださっているのです。
悲しい時に、「頑張れ・はやく元気になってくれよ、じゃないと自分が報われない」とは
思いません。大切な存在であるからこそ、鏡のように亡き方も共に泣いてくださる。
時には喜んでくださる。時には笑っていてくださるのです。
けっして私を一人孤独にはさせない、いつでも・どこでも私と共にいてくださる
それが、仏さまであり、お慈悲いっぱいのお心と言えるのです。

-法話

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