チューリップの歌

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こうして3月になると、だんだん暖かくなり色んな所で春の訪れを感じることが出来ます。
その一つが、冬の間じっと寒さに身を潜めていた蕾が、ようやく花を咲かせることでしょう。
梅や、桜、植物たちが待ってましたとばかりに、花が咲きます。美しい花に囲まれると、
なんだか嬉しくなりますね。私たちは季節によって様々な花を楽しむことができます。普通桜は春ですが、
たとえば1年中桜が楽しめるってどう思いますか?おかしな事を言っているかと思われるでしょう。
実は、私たちが参らせて頂くお浄土、1年中、春夏秋冬の花を見ることができますよっとお経には
説かれています。お経さまによれば、
「さまざまな苦しみの世界もなく、春夏秋冬の四季の別もない。いつも寒からず暑からず」
とお示しくださいます。お浄土とは四季の変わりがなく四季折々の花が楽しめる事から、
花咲鳥歌うお浄土とも言われます。たくさんの花が咲いていて、その花を褒め称えるように
たくさんの鳥たち集まり褒め称えます。それは素晴らしい歌声のようにお浄土に響き渡って
いるのです。その声は、私たちに南無阿弥陀仏となって、阿弥陀様は「この美しいお浄土に必ず
迎えとるよ、あなたのことをほってはおけない」と届いているのです。
みなさんお浄土ってどんなところだと思いましたか?それは、決して寂しい孤独な世界ではなく、
今まで旅行で行ったどんな風景よりも素晴らしく、そして、懐かしい方々が待っていてくれる場所です。
極楽世界と言われるほどですから、阿弥陀様によって参らせてもらうのが楽しみです。
少し話が変りますが、童謡に「チューリップ」という歌があります。
【チューリップの歌】
咲いた咲いた チューリップの花が
並んだ並んだ赤白黄色 どの花見ても きれいだな
このチューリップの歌の作者は「近藤宮子」さんという方で、昭和五年に作詞されました。
当時、第2次世界大戦前、不安な時代の中で世の中に発表されました。近藤さんは、
「なにごとにも良いところはあるものです。とくに弱いものには目をくばりたい、という自分
の思いを込めました」と語っておられます。世界の中で国が少しづつ戦争へと移り変わって
いく中で、赤白黄色と花が、それぞれ美しいように、日本という国でも不安を明るい未来へと
訴えたんじゃないかと味わえます。
阿弥陀様のお心も同じように味わえます。どの花を見ても、尊い命であるとご覧になられる。
赤い花は赤いからキレイだよ黄色になる必要はないんだよ。黄色い花は黄色いから素晴らしいんだよ、
他の色に成る必要はないんだよ。それぞれ違いが有るけれど、その違いが素晴らしいとご覧くださる。
まさにどの花見てもキレイだなとは、阿弥陀様のお心のようであると味わえます。
それを阿弥陀経には
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
とお示しくださっています。赤い花は赤く光とあります。阿弥陀様のお心を聞かせて頂く中に、
そうではない自分の姿が明らかになってきます。チューリップが並んで咲いていると、
やっぱり見頃の花っていうのがあるんですね。まだ蕾だったり、少し花が開ききったもの、花の大小さまざまです。
やっぱり自分の中でこれだってものを写真におさめます。
それを見て、自分もそうだなぁと思いました。
私たちが住むこの世界には、どの花が咲いていても其の中で優劣をつけてします。自分も、これが一番だと決めて、
それ以外は2番3番。むしろ目さえ向けない私です。どれもキレイに咲いてほしいと思っても、実際は、「どの花も」ではなく、
「この花が」と見てしまうのが私であったと、お参りの方々の姿から教わったことでした。
なぜお浄土の様子を、赤い花は赤く輝き、黄色い花は黄色く輝きとお示しになられたのか。
赤い花は赤く見えるのは当然ですが、それは私たちが、そのように見れていないことを見抜いた仏様だから。
この私を見抜けばこそ、「お浄土に迎えとる、見捨てずにはおれん」と私を目当てとしてくださるのです。
阿弥陀様は、この私の命を尊い命であるとご覧くださっています。どのような私であろうとも、若くても年を取っても、
健康でも病に伏しても、こちらが気づくよりも前から、私を尊い命であるといらっしゃるのです。
「今のあなたが一番美しく尊いよ。あなたの事をほってはおけない。必ずお浄土に迎えとるよ」と届いています。
阿弥陀様は、この私を決して見捨てることはありません。この命終えた時、美しく、花咲鳥歌うお浄土に参らせてもらいましょう。
美しいお浄土で、ともに出会わせてもらいましょう。みなさまの命は仏様になられる尊い命、尊い存在なのです。
だから、今日も1日お浄土への人生を共々に過ごさせてもらいましょう。

-法話

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