うぐいすの声

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春の訪れとともに、うぐいすの声が聞こえてきます。
「ホーホケキョ」
この声を聞くと、なんだか嬉しくなります。
南無阿弥陀仏のお念仏は、私が称えたから救われるという教えではありません。
阿弥陀如来様から私に届けられた「念仏称えてくれて、必ず救うぞ」とのお喚び声なのです。
親鸞聖人のお書物『教行信証』には「帰命は本願招喚の勅命なり」とあるように、必ず救う仏さまが、私に届いた姿が南無阿弥陀仏というお念仏なのです。
一般的な宗教であれば、私が信じた努力・供養に応じて願いを叶えるという宗教ばかりです。
信じたら救われる、願えば叶うという条件が課せられます。
しかし阿弥陀如来さまだけは違います。私が、信じれない・願えないと見抜いて私が思うよりも先にはたらき続けてくださる仏さまなのです。
私が願うよりも先に、この私を救う、必ず浄土に生まれさせ・仏とさせる親様なのです。
うぐいすの声を聞くと、春の訪れを感じます。
うぐいすと春の訪れはセットのような気がしますが、必ず春が訪れればこそウグイスが鳴けるのです。
ウグイスが鳴いたから、春は来たのではありません。
春が訪れるからこそ、ウグイスが鳴くのです。
南無阿弥陀仏のお念仏も、同じであります。
私に阿弥陀如来さまのはたらきが確かに届いておればこそ、私が念仏唱える身へとお育ていただいたのです。
念仏称えなければ振り向かない仏さまであれば、臨終の際に不安でしょう。
今、ここに南無阿弥陀仏のお念仏が届けられているのでありました。
すでに阿弥陀如来の救いのど真ん中に私がいるのです。
阿弥陀如来さまのはたらきを、「法」といいます。普遍的なはたらきを表します。
「ホーホケキョ。ホーホケキョ」と鳴くウグイスの声が、私に向って「法を聞けよ、法を聞けよ」と阿弥陀如来様が私に本願招喚の勅命、南無阿弥陀仏のお念仏のいわれを聞いて、仏となってくれよとのお喚び声のように聞こえるのであります。
ご先祖さまが見守っているという表現がありますが、見守っているだけではありません。
先達の方は、南無阿弥陀仏のお念仏となり、この私にいつでもはたらきかけてくださっているのです。

-法話

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